このところ寒暖の差が大きな日が続いております。皆様如何お過ごしでしょうか。

 

先日ネットで「あなたが自我が強い人であるかどうかを評価します」というサイトを見つけました。興味を持ったので20個ほどの質問に答えて、評価結果を見てみました。

 

その結果私の自我の強さは50%という結果になりました。

そして「あなたは自己を主張すると周囲と衝突することを知っていますので、普段はあまり自己主張をしません。でもあなたの本質はかなり自己主張が強いので、気が許せる家族や親友等にはかなり強く自己主張します。」というコメントが付いていました。

 

それを見て私は、かなり当たっていると思いました。普段の生活においては、私は強い必要性が無い限り自己主張をしません。若い頃はそうではありませんでしたが、色々な経験(多くは失敗です)を通じて、自己主張は余程上手に行わないとトラブルを引き起こすことを痛感し、自己を抑えるようになりました。しかしそのような自己抑制は本来の私の気質には合わず、対人関係において私のストレスとなっています。

 

一方で家族や親友に対しては、ある意味で甘えがあるのでしょうが、そのような抑制が弱まり、結構、思ったことを口に出して自分を貫いているような気がします。

 

私は基本的には、「自我が強い」ことは、はっきりとした自分の意見を持ち、主体的に生きていくことを意味しており、良いことであると考えています。多くの物事についてこれは良い・正しい又は良くない・誤っているという明確な意見を持ち、それを実現するために努力をすることは、とても幸福なことであるように、私には思われます。

 

ところがネットなどで「自我が強い」を検索したところ、我儘である、協調性が無いなどのネガティブな意味で一般的には捉えられていることが多いことに気づき、軽いショックを受けました。

 

「自我が強い」という言葉は一般的に、「自己」の意識が強いことを表しており、その結果として、自分の意見や意思を強く持つことに繋がると思います。真に「自我が強い」人は、主張や生き方がぶれることがなく、判りやすい人であると言えるかもしれませんね。また自分が信じたことを貫き通す意志の強さや決断力があるなどの長所もあり、一概に短所とは言えないと私は考えています。

 

先に述べたように「自我が強い」ことが否定的に取られることが多いのは、自己を主張することが、周囲の状況を考えない振る舞いだと捉えられるからです。特に日本社会のように、協調性と場の空気を読むことを重視する社会では、そのような傾向が顕著であるように思われます。

 

勿論自分の主張だけが正しいとして譲ることなく、他人の意見に全く耳を貸さないのは単なる我儘であると思われても仕方がないと思います。自分の自我や意見を尊重してもらいたいならば、他人のそれも同等に尊重するべきであることは当然です。

 

しかし、これは完全に理想論ですが、各自が強い自我に基づいた自分の意見を持ち、異なった意見を持つ他人と議論を行い、両者を擦り合わせることができれば、確実により良い社会を実現できるのではないかと考えています。自分と他人の意見や主張が異なるのは当たり前のことなので、感情的にならずに、お互いを尊重して理性的な議論により解決することができれば、と強く願います。

 

日本社会では他人が自分と異なる意見を持つことは、自分の人格まで否定されたように思われ場合が多いので、冷静な議論を行うこと自体がなかなかに難しいのが実情です。そのために日本社会では意思決定のプロセスが明確ではないことが多いと私は感じ、それは、日本独特の閉塞感にも繋がっているような気がします。

 

ところでターナー女性には、その体質に由来する問題があるので、世間に理解されやすい、一般的な女性の人生を選び難い場合もあるかと思います。よって一般的ではなくても、自分なりの「オーダーメード」の幸せを手に入れるために、ターナー女性(特に人生を選択する時期にある若い方)には強い自我を持って欲しい、と個人的には考えています。

 

この記事に書いたことについても、人により様々な意見・異論があるかと思います。これは完全に私の私論でありますので、お気に障りましたらご勘如下さい。本日もこのブログにいらして下さいまして、ありがとうございました。