皆さま如何お過ごしですか。しばらくブログの更新をせず失礼を致しました。

 

突然ですが、皆さまは自分自身と仲良くできていますか?自分自身と仲良くするとはどういう事なのか、と思われるかもしてません。私はそれは、自分自身を嫌ったり疎んじたすることなく、自分自身と自然に共存できることだと思っています。より具体的に言うと、自分が自分自身の良い友人であり、理解者であることだと思います。

 

自己肯定感はそれと近い概念ですが、自己肯定感というのはもっと積極的に自分自身を好きになることであると考えています。

 

自分自身を好きになれたら最も良いと思いますが、嫌いにならないことはもっと大切なことです。考えてみるまでもなく、嫌いな他人とは距離を置くことができますが、嫌いな自分自身から逃れることはできません。だから自分自身を嫌い、仲良くできないというのは、かなり辛いことです。おそらく自分自身を嫌いな人はいつも葛藤を抱え、落ち着くことができないのではないでしょうか。また何をやるにも確信をもてないかもしれません。

 

残念なことに私には自分自身と仲良くできているという実感はありません。私はどうしても拭えない、自分自身に対する違和感のようなものを抱いていることを感じます。

 

それでは心もとないので、自分の心をいつでも支えてくれる存在が欲しいと考えることがあります。しかし自分自身と仲良くできない私にはそのような支えが無く、ストレスを受けたり落ち込んだときに自虐的にまで自分を責めてしまうこともあります。また私は子供の頃から、「誰も自分のことを判ってくれない」という思いをどこかで抱いてきた気がします。

 

親との関係に問題があったのでそのような感覚を持ってしまうのであろうか、と考えることもあります。私の両親は何時も私のことを心配してくれ、私が大人になってからも、私が困っていないか、健康状態は大丈夫かと気を遣ってくれました。その意味で両親は私のことを愛してくれていたと信じています。

 

しかし私の個性を理解してくれたか、それに基づいて適切な助言をしてくれたか、という点については疑問を持っています。親に理解されて育った人は、自然に自分自身を受け入れられる状態を作れるのかもしれないと考えると、羨ましく思います。もっともこの歳になって考えると親といっても別人格なので、理解まで求めるのは無理なのかもしれないという気持ちもあります。

 

結局健全な自己承認感を持つためには、「自分が生きているだけでよい」という感覚を得ることが必要なのかもしれません。「自分自身と仲がよい」ということの本質には、そのような感覚が存在しているのではないかという気がしています。

 

ところで私には何人かの親しく仲が良い友人がいます。その人たちに対しては私は自分自身を開くことができ、それでも自分のことを悪く言わないであろうと信じることができます。

 

このところ私は自分にストレスがかかったときに、そのような友人だったら自分の問題について何と言ってくれるだろう、と考えるようにしています。そのような言葉は、私が自分自身と仲がよかったら、自然に自分に投げかけるものと考えています。そしてそれにより少し自分が楽になるように感じます。

 

そのようなことを繰り返しているうちに、真に自分自身と仲良くできる感情を自分自身の内面に育てることができればいいな、と考えています。そして何時か自分自身が一番の親友になる、ということを達成したいです。

 

なおターナー女性にとっては、自己を受容するハードルは、一般女性と比較して高くなるかもしれません。他人と違うという感覚は非常に厄介なもので、自己肯定感に影響を及ぼします。

 

そのような問題に特効薬はありませんが、ターナーに関係無く自分の良いところを伸ばしてポジティブな感情や成功体験を積むのが良いかもしれません。それにより、かえがえのない自分自身を受容する感情を持たれることを願っています。

 

愚痴のような内容のブログになってしまいましたが、皆さまのお心に届けば幸いです。

本日もこのブログにお越しくださいまして、ありがとうございました。