文楽通し狂言 『双蝶々曲輪日記』 | 計画をねりねり・・・・・・。

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思いつくままにオッサンが、Negicco、WHY@DOLL(ほわどる)を筆頭とする音楽、そして映画や読書のことなどをゴチャゴチャと。

国立小劇場

文楽通し狂言 『双蝶々曲輪日記』

「堀江相撲場の段」 「大宝寺町米屋の段」 「難波裏喧嘩の段」 「橋本の段」 「八幡里引窓の段」


     


「相撲場」 「引窓」 は歌舞伎でもちょくちょく上演されるので、何度か観劇したことがある。

しかし、 「橋本の段」 は歌舞伎で見たことはない。

文楽での記憶もどうやら残ってはいないようなので、初見か。

この 「橋本の段」、三人の年老いた父親が登場し、成長して大人になっても変わらぬそれぞれのわが子への思い、にもかかわらず相手の立場を考えて、義理と人情にはさまれ苦悩する様子が描かれている。

本年、住大夫引退、続いて病気療養中であった源大夫もが引退し、上置きの人間国宝二人がいなくなってしまったという状況の中、二人に次ぐ位置にあった嶋大夫が、今回からは旗手としてその役割をしっかりはたし、それぞれの登場人物を滋味あふれる表現で見事に語り分ける。そしてその傍らには、住大夫の相方を長年勤めてきた三味線の野澤錦糸が控え、さすがに長年名人とともに鍛錬してこられただけあって安定の技。


この 「橋本の段」 だけでなく、それぞれの段はもちろんエピソードは異っているのだが、その根底に流れるのは、つねに相手のことをおもんばかってなんとか最善の道を親身になって模索する人々の姿。

司馬遼太郎が 『菜の花の沖』 で触れていたように記憶しているのだがそれは、江戸の頃の人々は、このような義太夫節を中心とした浄瑠璃を日頃から歌舞伎や文楽で娯楽としてたのしみ、あるいは原作である浄瑠璃本を読んだりしていたので、人として生きてゆくための知恵や倫理観を自然に身につけていった、というものであった。

まさにそのとおりだったのではなかろうかと思う。

だからこそ、1749年(寛永2年)に初演された260年ほど前のこの作品であっても、現代に生きるぼくらのこころにも響いてくるものがある。



自分が子どものころには、ラジオやテレビの演芸番組で、よく浪曲師が登場していた。 しかし、いつの間にやら浪曲を聞く機会はほとんどなくなってしまった。 おそらく、多くの日本人にとって浪曲は、もはや耳を傾ける必要のない演芸となってしまったのだろう。

文楽も、公金によって援助しなければ立ち行かない芸能となってしまっている。

どちらの芸能に流れているのも、義理と人情のせめぎあい。

「浪花節的だなあ」という、やや揶揄の気配を込めつつも全体では敬意を払っている言葉も、近頃はあまり聞くことはなくなってしまったのは、そんな状況がなくなてしまったわけでは決してなく、義理と人情の秤にかける手前でなによりも自分のことを優先してしまっているせいなのかもしれない。

なんだか、年寄りめいた繰り言になってきた……。


とにかくこれからも、できるだけ機会を逃さぬように文楽を見続けてゆきたい。

そして、いまも浪曲の定席がかろうじて残る “浅草木馬亭” にも出向いてみようかとも思う。 http://www.asakusa-e.com/event/mokubatei.htm