二、三ヶ月ほども前、そろそろ稲刈りをしようかなと、

小さな田んぼに向かっていたときに、

耕作放棄田、休耕田のはじっこで、

雉の夫婦を見ました。距離、およそ、50メートル。

ちょっとヨコを向いた間に、背景の背の高い草間にかくれてしまいました。


そういえば以前、名古屋市の西をながれる川の堤防で見ました。

十四山村の畑でも見ました。


堤防では、きれいに刈り取られた中で、

1メートル四方ほどだけ、草が残されていて、

その近くに向かって、5メートルほど大ジャンプをしました。

十四山村では、サツマイモの収穫を楽しんだときに、

畝の一角に、草が残されていて、

何かなと思ってのぞいたら、雉がいました。

これは失礼と、さっさとその場から離れました。


半年に一度ほどの割合で、田んぼの近くで見るのですが、

きのうは、田んぼの間の車路で発見、遭遇。

そのまま前進すると、路脇の草の中に身をしずめていました。

速度をさげ、そぉっと進め、すぐヨコで止まり、

窓をあけてのぞきました。


距離70㎝、草の間から赤い首が見え、

ぎょろっとした目とあいました。

一瞬の緊張の後、おたがい知らんふりをしようということになって、

雉はそのまま、私はそこを離れました。


よかった、よかった。

11月に入ったのに、あたたかいせいか、

ゆったりとした蝶々の姿を見ます。


オレンジいろの羽に、ひょう柄紋、

羽の先に黒い帯様のかざりがついていて、

つまぐろひょうもん蝶のメスだそうです。


もんしろちょうよりも大きくて、

アゲハチョウの小さい子よりも、少しちいさいというサイズ。


幼虫の餌になるスミレが、けっこうたくさんあるので、

この畑に居着いているのかもしれません。

よく地面に着地して、とことこあるいています。

そのとことこがおもしろくて、

じっと見ていると、さらりと飛んでいきます。

ちゃんとこちらの視線は感じているのかもしれません。


畑の土の上で、何をしているのかなと思っていたのですが、

卵を生みつける場所を探していたのかもしれませんね。

それとも、ふんわりとしたあたたかさに、

ふぅわぁとしていたのかも。


思わず座り込んで、

いっしょにぼぉーっとしていました。



究極の手抜きということで、不耕起とじかまきといっても、

何もしないと、畝間がうまって、畝がたいらになってしまいますし、

根穴をそのまま残して、微生物の活躍しやすい環境をといっても、

じゃがいもなどは、掘り出せないことになります。


しかたがないので、

土寄せは、めんどうでも少しはやって、野菜ができるスペースをつくり

かきまぜないことと、つぶやきながら、根ものを収穫し、

排水を確保するために、

畝間に積もったものを、少しは畝に盛ることになります。


畝間には、

丸太組みの屋根などにして、風雨でばらばらになり、

捨て場のなくなった分解しかけの葦や、

畑に生えてきた草、作物の残さなどが積もっています。


くわすきを使って、その下の土を持ち上げ、

畝につんでいきます。形が残っている枯れ草などは、

その上にかぶせこみます。


さて、ここでひとなやみ。

堆肥づくりなどとてもとてもやる気にもならないのですが、

蛎殻や菜種かす、米ぬかなどを、まくか、まかないか。


以前なら、迷いなく、振りまいていたのですが、

肥料があると、栄養過多で、水ぶくれの野菜になるという話しもあり、

肥料がなくても育つかもという話しもあり・・・


今回やらないでみたら、まったく育たないわけではないものの、

できないものがおおかった訳で、

なやむことになります。


米ぬかなどは、肥料というより、微生物の栄養、

蛎殻は、酸性雨はもともとの環境とは違うから中和させて・・・

などと言い訳をしながら、以前よりはるかに少ない量を、

ぱらぱらとかけてみました。


農薬なしはもちろんのこと、

無肥料で育つ土になるには何年かかかるそうですから、

少しずつ減らしていって。

不耕起、肥料なしといっても、

けっこう作業ではいろいろやっていくのだと思います。


なぜか、昭和初期のイメージがうかび、

少しでも多く作物を稔らせて、

子どもたちに、腹いっぱい食べさせてあげようと、

真っ黒でやつれた、農家のかあさんの顔がでてきて、

ほろり、です。




夏が終わって気温が下がり始めると、

つまり、最高気温が20℃前後、最低気温が10℃超あたりの頃は、

いわゆる気候がよい時期かと思います。


あがったり下がったりしながら、少しずつ移ろっていく季節ですが、

この頃、いろいろな子たちが、対冬の戦略を実行している感じです。

まだ、うごく余裕のある内に準備をはじめ、

生命をつないでいくことを考えているようです。


カマキリです。


12、3㎝ほどに大きくなったカマキリが、

木壁にはりついていました。ダイズの茂みの中にいました。

シシトウの木にとまっていました。

うす黄緑が少しと、うす茶色がメインの体色で、

うごかないでいます。

腹減らし態なのか、それとも・・・


夏のあの得意げな戦闘ポーズ、カマをふりかざすこともなく、

固まっていました。生きていると思います。


大きくふくれあがったおなかが目立ちます。

卵が熟するのを待っているのでしょうか?

それとも産卵して、するべき事をなした後の姿なのでしょうか?

じっと、ただ待っている、そのように見えます。

なかなか、なかなか。


白い泡が黄色くなり、がっしと何かに絡まって、

寒さに耐えた春、

1㎝弱の、それでも姿は立派なカマキリのミニチュアが、

わらわらとはいでてきます。

50ではきかない、100ぐらいはいるでしょうか。

たちまちのうちに天敵に補食されてしまう危険があります。

ちょっとたまって、それからあちこちにちっていきます。


これはかわいい。

秋の姿は、この子たちを思いださせてくれました。




十五夜の月も十六夜の月も、まるくて区別はつかないのですが、

欠けていく月の風情か、言葉の響きか、

いざよいがよい・・・すいません。


つきものなのがススキ。


むかしなら、堤防や土手に白々と輝いて生えているイメージなのでしょうが、

いまは、耕作放棄の畑や田んぼに、背高粟立草といっしょに、

元気で生きています。ちょっと押され気味かな。


遠慮がちに、境界ネットあたりでちらほらしていたと思ったら、

翌年は、堂々と畑の中に入ってきました。

細長い葉なので、マルチによいかと、

鎌で切って畝間におき、根元をあらわにします。


鍬で掘り起こしてみると、これはまずい。

笹の根っこよりも頑丈で、手強いかもしれません。

筍を細く長くしたように、節がいく重にも並んでいて、

竹のように、ずんと伸びたら、打つ手がなくなるかも。


えっ、でもこれって、本当にススキ?

そういえば穂が出ているのとは、根元あたりの様子が微妙に。

でも、だったら、君は誰?


さっさと畑に行って、しっかり観察してこよう。

魔法使いに本当の名前を知られたら、支配されてしまうとか、

名前は態を表すとか。

そういえば、雑草を知るのによい新書がありました。


耕作者が名前を知らないだけで、

この子たちはちゃんと生きている訳で、

関係なく、雑草も、生き物も、いっぱい生きているのだから、

うっかり名前を知られて駆逐されてしまわないように、

しらん顔して、生きのびるのだよ。


恐るべし、名無しの生き方、したたかさ。

耕作者がさぼりなだけかも。



-藤井平司さん『図説野菜の生育』『本物の野菜づくり』(農文協)


藤井さんの本は二冊だけ読みました。

二三年も前のことでしたので、いいかげんな記憶ですけれど、

野菜について、その生い立ちから特徴までを、

真摯に語っておられる様子がすばらしいと思いました。


特に『図説野菜の生育』では、

葉っぱの話しからはじまって、野菜への深い考察が述べられ、

たいへん心に残りました。

ひとつひとつの野菜にきちんと向き合っておられることが、

淡々と、でも熱く伝わってきます。


一方の『本物の野菜づくり』では、

「野菜生産の原型をさぐる」で、一本の小川の流れから、

耕作地の成り立ちとそれに適した野菜について述べておられます。

理にかない、なるほどと思い、

自分の耕地をそのように設計したいと思いました。

もちろんファーマカルチャーなのですけれど、

日本人として、身体にしっとりと染みこむ内容です。


人も内容も、

ああ、すごい。そう思いました。



じいさまに教えてもらったことはふたつ。


あぜ豆というぐらいで、水がすきで、

特に、花の時期に水がないと、うまく稔らない。

6月の末がぎりぎりのタイミングで、

種はそれまでにまかないといけない。

えだ豆と言えば、夏でピールでおつまみなのですが、

100日豆ということなので、

それでは、4月からまかないとシーズンに遅れてしまいます。

ハウスでポットかな?

梅雨が花の時期に重なって、おいしいえだ豆ができるそうです。


このあいだの台風でナナメになった子たちも、

それなりに実ができてきました。


ただ、十分な水とお日様と栄養があった訳ではないので、

全部の実がふっくらしているとは言い難くて、

食べれそうなところが少しだけ・・・


下の方から実が充実していくのですが、

20株ほどをかき分けして、少しずつ採って、やっと一回分の枝豆に。

ひとつの鞘に、みっつとかよっつとか豆があるのではなく、

ふたつの豆の片方だけなんとかふっくらしていたり、

そもそもひとつしか入っていなかったり。


それでも、1時間以内にゆでて食せよとの話しがあって、

すぐさま塩ゆでで、おいし!


枝から切り離されると、この実は自分を守るために、

栄養を受け入れる状態から、

栄養を失わないように保存・固定する状態に変化するのかもしれません。

だとしたら、その変化の前のやわらかい状態を調理するのですね、きっと。


大豆の木に豆がなってきて、

若い内に枝豆として食べられるのは二週間ほど。

その短い間に採らないと、

後はダイズとして、味噌・醤油の原料か、

来年の種になります。


ちなみにクズ大豆でも、まいて発芽してくれれば、

チッソを固定してくれるので、畑の栄養が豊かになります。


それにしても、黒いダイズがこのあたりのあちこちで育っていて、

これがおせち料理の黒豆、黒ダイズになるのだそうです。


そうか、真夏だけは避ければ、

春まき、夏まきと同じ、

梅雨と秋雨に、花の時期を合わせればいいのだ。





クレヨンで畑を描いてみると、きっと茶色でいっぱい、

緑がちょんちょんと、一定のかんかくでならんでいるのでしょうね。

ひょっとしたら、赤とか黄色とかものっていて、

何かの実がなっている姿かもしれません。


空はどこまでも明るく青く、白い雲と、

真っ赤や黄色の太陽が、かわいく笑っているのかもしれません。


で、畑ですが、とてもがんばらないと、あの茶色にはなりません。

まわりを見わたせば、りちぎでちゃんとした人たちの畑も多く、

そういうところは茶色になっています。


私の畑の土も、晴れていれば茶色、ちょっと湿気っていれば黒い土です。

土はそうですけれど、畑は緑色で占められています。

たまに、黄色・白・ピンクの花があったり、赤い実がなっていたりします。


雑草はお友達


スギナだけではなく、たくさんの種類の草が、せいいっぱい競っています。

見ていると、この草はやばそうという勘が働くようになっていました。


このままほおっていくと、根っこが大きく残って来年は抜けなくなるぞ、

この増え方は地下茎からきていてまずい、

この草は地をはってひろがりすぎ、

この子は、とにかく強すぎるからと…


競争に勝ち残って生存してきた子たちのなかから、

堅くて強すぎる子たちを、ぽいぽいほうりだします。

めんどうなときは、茎を手折ります。

いかにもやわらかそうなのは、そのままにしておきます。

きっとはやく土の栄養になるから、もう少しこのままで。


そんなに簡単に畑向きの土にはなっていってくれないようです。

まずは、草たちの活躍でどうなるか、ほおっておくことにします。

どこが土つくりなのだろう?




前日けっこうな雨が降りました。

きょうは、あたたかく、ほんとうにおだやかな秋日、

はたけでは、みんなのほほんとしています。


そんな畑の1メートルほど上を、

ひらひら、ひらひら、もんしろちょうが4、5匹も。

飛んでいる?舞っている?移っている?


あの独特のふわふわですが、

2メートルほどに近づくと、

反対方向にまっすぐではなく、

ヨコやナナメに、さらさらと流れていきます。


スピードアップするわけでもなく、

動揺を表すでもなく、

いかにも自然さを装って、離れていきます。

あなたが怖くていそいで逃げ出しているのではないですよと、

言われているような気がします。


そんなもんしろちょうですが、

ぱたぱたと高く上がり、といっても1.5メートルぐらい、

そこからすーっと羽をとめて滑空しておりてきました。

これはちょっと、ほぉーです。


他にも、るり色のシジミ蝶、

オレンジに黒いラインのひょうもん蝶など、

ちょっと蝶々に目がいったたおやかな日でした。


いったいどんな葉っぱを食べて、

ここまで大きくなってきたのかな?



科学的に合成されたもの、化学肥料や化学農薬を使わず、

土をよくするにはどうすれば・・・


自力でなんとかしてもらうとういうことで、

ちゃんちゃん。

これでは、お話はおわってしまうのですけれど、

有機物があるといいそうです。


理屈としては、微生物や虫などで有機物が分解されて、

植物が吸収しやすい形の栄養になったり、

病原菌の活動を押さえたり、

そもそも野菜とそれらの生き物との共生関係で・・・


はたけというか、土はそれらの生き物たちのフィールドで、

フィールドの環境によって、

野菜ができたりできなかったりと考えれば、

つまり、土づくりは、

生き物たちの生活環境づくりということになります。


いろいろめんどうなので、

あまり耕したり、草取りしたり、

有機肥料をやったりなどはしなくなりましたけれど、

それでも少しは取った草々を、畝間にほおっておきます。


そのままにしておくと、上っ面は乾燥して枯れ草色ですが、

土と接するあたりは適度に湿って、

いろいろな虫たちがめいっぱい集まって、活動しています。

微生物もいっぱいいるのでしょうし、

草々はそれなりに分解されていくのでしょう。

ひと月もすると、そのあたりはさらさらとした、

けっこういい感じの土になっています。


二三日おいて青臭さが抜け、てきとうに乾燥したものを、

すき込むのではなく、

枯れ草で畝をカバーしてマルティングしておくわけで、

そこからはあまり草は生えないということになっています。

天候と勢いしだいですけれど。


何年かこうやってきているのですけれど、

毎年、枯れ草は消えてなくなり、

新しい草がどんどん生えてきます。


はたけにかぶせ込んできたあれだけの草々は、

いったい、どこにいったのだろう?と不思議です。