ユーミンの「春よ来い」を耳にするとあの時の記憶が蘇ります。
1995年1月17日午前5時46分
あの頃の朝ドラの主題歌がこの曲だったんですね。きっと通勤の車の中でよく聞いてたんだと思います。
震災の後、この曲を聴くと涙が止まらなくなって情緒不安定になってました。
いつ頃からかな、ちゃんとこの曲を聞けるようになったのは。時間の流れというお薬の偉大さに救われます。
あの頃、皆さんはどんな毎日でしたか?
あの頃私は京都に住んでいました。あの日は夫と別居して10日目。3年以上続いた話し合いにようやくゴールが見え、これから一人でやっていこうと歩き出したところ。そんな決意があっても、あの揺れにはビビりましたよ。それとこれとは違うねん^^;
揺れが収まってすぐにお隣のおうちに逃げ込みました。
お隣さん一家とニュースを見ながら夜が明けるのを待ちました。
売店が開かないかも?とお弁当を作って、電車が動いてないからと自家用車で出勤して。めちゃくちゃ冷静やったね。
お隣さんの朗らかさに救われたから、その後が支離滅裂になることなく過ごしてこられたと今も感謝しています。
その日からしばらくは、職場のテレビは点けっぱ。
神戸近辺に住む親戚や友達の安否が気になりながら仕事をしていました。
本当はすぐにでも現地に駆けつけたかったけれど、どうしても職場から離れられなくて悶々とした日々を送っていたのを思い出します。
あの震災から数年後に、神戸市灘区(三宮の東側、灘の酒どころ)で被災した方と知り合いました。
彼から、地震発生後のことを聞いたことがあります。曰く、
「毎日、自転車で走り回ってたわ。自転車であれこれ届けてそこでご飯食べていくねん。ツレのとこがウナギ屋でな、イケスがあかんようになってしもたから食べてしまわんとあかんやん、焚き火で焼いて蒲焼と酒や。酒いっぱいあるしな。酒蔵のツレんとこは蔵が壊れて売りもんにならへんやん。肉扱ってるツレのとこは冷蔵庫パーでバーベキューやろ、がれきだらけで薪はナンボでもあるやん、毎日が宴会や。あれは楽しかったで〜」
面白おかしく語ってくれましたが、「楽しい」以上に「辛い」もあったに違いありません。
電気もガスも水道もストップしている状態で、冬の寒さをしのぐのは大変だったと思います。
それでも「転んだら何か掴んで起き上がる関西人」、在庫処分と称してみんなで焚き火を囲んで宴会。しぶとい。。。
きっと何も掴まずに起き上がったら、「おい!こら! も一回転んでなんか掴んでから起きてこい!」って転がされてるんだろな。
みんながみんな、こんなふうに明るくはできなかっただろうけど、それでも数年のうちに都市の機能を取り戻した神戸という街、底力がハンパないです。
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「刑事ゼロ」の第1話を見ていたらめっちゃ懐かしくなりました。
ラストシーンで、あれ? 見たことある? と思って見てたら、京都府庁の旧本館や京都府警本部などが次々と映るじゃないですか。阪神淡路大震災の頃に勤務していた第一号館や、2号館、3号館などなど。議会棟の屋上で撮影されていたんですね。懐かしい景色がいっぱいで嬉しくなりました。
*ブログアップ時にTverのURLを入れていたのですが、再生できないようでしたので削除しました。見逃し配信のサイトなどで探してみてくださいね。