生きるってなんだろう。

 

 

なんのために生きてるのだろう。

 

 

そんな問いを

何度してきたことだろう。

 

 

ただこれに尽きるなという

僕にとっての今のところの

答えに行きついた。

 

 

生きるとは

 

 

朝起きて

生命維持活動をして

夜寝る。

 

 

これを死ぬまで繰り返す。

 

 

とてもシンプルだ。

 

 

生きることとは

生命を維持する活動をすること。

 

 

生きているということは

生命を維持する活動をしている状態

ということ。

 

 

生命を維持するためには

  • 酸素
  • 食料

が必要で。

 

 

そこに『安心安全な』生命維持となると

  • 住まい
  • 衣服
が必要で。
 
 
それらが満たされていれば
基本的には安心安全な生命維持が可能
ということだ。
 
 
そしてそれこそが
暮らしそのものだということ。
 
 
そこに『快適な』暮らしとなると
  • クオリティ
が必要で。
 
 
そこに『もっと』安心安全で快適な
暮らしとなると
  • 更なるクオリティ
が必要で。
 
 
そこに『もっともっと』安心安全で快適な
暮らしとなると
  • とびっきりの更なるクオリティ
が必要で。
 
という感じだろうか。
 
 
話は逸れるけど
 
 
今の日本は
クオリティの部分が充足していて
むしろ飽和している。
 
 
それゆえに過度な欲望が生じ
振り回されてしまう。
 
 
充足しているが故の欠乏感。
 
 
現代の苦しさの原因のひとつだろう。
 
 
物質的価値観の社会の限界。
 
 
質素がいいとか
多くを望むな
などと言いたいわけではなく
 
 
よく考えたら本来は
ある程度のクオリティで
十分満たされるということだ。
 
 
日常に入り込みすぎると
忘れがちだ。
 
 
蛇口をひねれば
水が出る。
 
 
お湯も出る。
 
 
これ以上は書かないけれど
何一つ自分が手を下すことなく
どこに住んだとしても
 
 
(この日本であれば)
当たり前のように整備されている。
 
 
それでも不平不満を持ってしまう
現代病に侵されていた。
 
 
頭では分かっていても
深く感じてみると
どれほど恵まれているのかが分かる。
 
 

何をあんなに

必死になっていたのだろうと

目が覚めた。

 
 
そしてまたひとつ
苦しみから解放された。
 
 
生きるとは生命維持活動をすること
 
 
何かにしがみついて
ムキになることもない。
 
 
本当に必要なもの以外
削ぎ落とされた。
 
 
このことに気づいた上で
生きるこれからが
とても楽しみだ。
 
 
それは
衣食住あれば何も望まない
ということではない。
 
 
自分の純粋な望みに
素直に生きる。
 
 
混沌に飲まれて
何かを埋めるための
ギスギスした欲望は
必要ない。
 
 
そして、
 
 
この恵まれた豊かな時代だからこそ
自分に出来ることは何なのか?
 
 
何をお返しし
何をつなぐのか?
 
 
そんな志も持ちつつ
ありがたく
真剣に生きよう。