25日目。

 

 

今日は同級生M子とほぼ一日、楽しい時間を過ごしておりました〜♪

 

 

 

で、、、、、

 

 

いつもシンクロするM子との会話で本日もたくさんの発見をしたのですが・・・・

 

 

大きな気づきを得て帰ってまいりました・・・ニヤニヤ

 

 

 

  大嫌いな2つの感覚

 

 

今日、M子と「違和感を手放すこと」について話していて

 

自分の感覚に合わない違和感を感じるものを

 

お互いにどんどん手放していってて

 

 

その自分に、「変わっていくこと」への心地よさと

 

多少の恐怖心を乗り越えていく時の気持ちのシェアとかをしてて。

 

 

 

 

そんなこんなを話しながら、私が今抱えている「違和感」について

 

気づいてしまったんですよね・・・。

 

 

 

それは「進化を止められるような感覚に対する嫌悪感」

 

をものすごく持っているということ。

 

 

 

 

それに気づいたのは、最近の母への違和感からなんだけど・・・・。

 

 

先日、おこもりを終えて母親に車で迎えにきてもらった帰宅途中の車内で

 

こんな会話をしたんですよね。

 

 

 

 

母:「京都行って、なんか変わった?」

 

私:「うん。めちゃくちゃ変わったよ〜!主に内面がすごい変わったと思う!!」

 

 

母に聞かれたので、嬉しくて答えたんですよ。

 

 

そしたら・・・・・

 

 

母:「ふうん。それは気のせいやろ」

 

私:「イラッ」

 

 

 

という会話。

あ、最後のは私の心情だったww

 

 

 

 

でも、こういう会話って母との間では結構日常茶飯事で

 

今に始まったことではなくて。

 

 

でも以前から感じてたからなぜこうなってるのかは分析できていて。

 

 

 

 

 

母からの非言語から感じるのは

 

「変化に対する恐怖や不安」

 

周りの人や環境によって、自分が変わってしまうかもしれない

 

「未知なことに対する恐怖」

 

 

これって、人間なら当たり前に持っている感覚だし、

 

母親は特にこれが強い傾向にあるのを知っていたので

(怖がりさんだからね)

 

 

「イラッ」としながらも

 

いつものことだからな・・・とその時はスルーしてたんですよね。

 

 

 

 

私にはずっと作りたい世界があって。

 

何かに制限を受けることなく

 

どんどん自分を発揮して輝ける場所

 

 

 

 

 

その「制限」というのが、

 

 

世間体だったり、人の目だったり、年齢だったり、自分のコンプレックスだったり

 

学歴だったち、一般常識と呼ばれるものだったり、、、、、、

 

 

 

 

つまり、誰かや何かのジャッジを気にして(その世界にいて)

 

その人が本来輝けるかもしれない挑戦に対する制限や抑圧。

 

 

みんなで仲間同士を応援をしあって拡大し高めあえるものを阻む

 

ジャッジによる上下や勝ち負けなどの苦しい拡大や進化を止めるエネルギー。

 

 

 

このエネルギーを感じると、ものすごく気持ちが悪いなって感じてしまう自分がいる。

 

 

 

でも、自分らしくありたいのにあれない人達が入ってきて

 

どんどん自分らしさを取り戻していく場所になっていくはずなのに

 

「このエネルギーを持っている人が入ってくるのは嫌だな」

 

と、初めからそのエネルギーが入ってくることが嫌だと思ってしまう自分もいて。。。。

 

 

 

 

その矛盾に気づいてから、ずっと葛藤があって。。。。。

 

 

 

 

で、どうにかここの違和感をスッキリさせたいと思っていたら

 

 

キタキタww

 

 

 

 

  変わらない事への許可

 

私がすごく嫌いなのは

 

母から感じるコントロールのエネルギー。

 

 

これは昔から嫌いで。。。。

 

 

っていうのも、虐待やらお金のことやら、、、、、

 

母は、自分の気持ちを埋める(安心させる)ために私たち子供を使っていたし

 

自分のために人をコントロールする癖がある。

 

 

 

このエネルギーに似たような匂いを感じるのが

 

 

「他人に変われ」と期待するエネルギー。

 

 

 

でもこれって、私自身もやってんじゃん!って気づいたんですよね。

 

 

 

 

それは、母に対してや妹に対して。

 

元彼に対してもそうだなって思った。

 

 

 

距離が近くなればなるほど「変わってほしい」と思ってしまう。

 

 

 

特に友人や知人くらいでは発動しないのに、距離が近いと

 

「この人がこう変わってくれれば、私の気持ちは楽になるのに」っていう

 

傲慢さが出てくる。

 

 

京都から帰ってきて「私の内面が変われば、母や妹ももっと変わってくれるだろう」

 

という、期待のエネルギーもそう。

 

 

 

自分以外の人は、自分を満たすためにいるのではないのに。

 

 

 

ここに気づいたら、

 

 

 

「人に変わって欲しい」と思っている

 

コントロールのエネルギーを出してるのは自分で

 

全ては自分が創っている世界であるなら、

 

母が「変わるの怖いから、あんたが変わらないでいてよ!」という

 

自分の恐怖心を埋めるために人の進化を止めようとする

 

現状維持へのコントロールしたいという母が登場して当然でしょっっw

 

 

 

 

って思ったんですよねネガティブ

 

 

 

だとすると、

 

私自身はどんどん変わって行きたいという願望を抱いているのに

 

 

 

相手に対して「変わらないままでいる」という「選択の自由」を

 

私自身が奪っていたんだなと思ったら

 

 

 

私が創る世界で「自由でいたい」と願うと同時に

 

「変わらないことを許さないという不自由」を人に押し付けてたんだなと。

 

 

自分で矛盾を創っていたことに気づいてしまい

 

 

なんとも長い間、自分で不自由な世界を自分で創っていたカラクリがわかり

 

「変わらない自由」を身近な人に出すことができてスッキリしました。

 

 

 

 

  もう一つの嫌悪感

 

 

もう一つ、私がこの拡大や進化を阻むエネルギーが大嫌いな理由。

 

 

これは多分、というか絶対にここ・・・・魂が抜ける魂が抜ける魂が抜ける

 

 

 

 

挑戦すること、進化していくこと、拡大していくこと、

 

 

自分の可能性を広げることに対して

 

 

「自分ではない何かに、制限をかけられ挑戦出来ない」

 

 

というあの時の悔しさを刺激してくるから。

 

 

 

 

これ、私が人に対して嫉妬をしないのも関係しているかなって思うのだけれど・・・

 

 

「憧れ」はしたとしても「嫉妬」をしないのは

 

 

「制限のエネルギーを感じるから」だと思う。

 

 

 

「憧れ」は「ああなりたい!」という拡大や進化を促すエネルギーなのに対して

 

「嫉妬」は「悔しいから引きづり下ろしてやりたい」という進化をやめさせたいエネルギーを

 

多少なりとも感じるのが、好みではないからだと思う。

 

 

 

私は、幼い時に自分の夢が砕かれた時の衝撃で、

 

多分、こういう制限や抑圧のエネルギーに敏感なんだろうなと思う。

 

 

 

だからみんなが何にも制限されず、自分らしさを追及できる

 

そしてその姿を、仲間同士で全力で応援できる場所にしたいし

 

たくさんの叶えたい夢や願望に対して

 

気持ちよく挑戦できる場所にしたい。

 

 

 

 

私の、過去の想いを実現させる場でもあり、

 

 

たくさんの人たちの未達成の夢を叶える場所でもあるから

 

 

 

そのために、どんなこととも向き合って

 

 

私自身のエネルギーも、その場所のエネルギーも、

 

 

万全でクリアな状態にして出したいって思うから。

 

 

 

そのためのおこもり期間、実践編。

 

 

 

たくさんの気づきは、きっと起こるべくして起きているし

 

 

多分こうやって友人や家族、たくさんの仲間達など、一緒に

 

 

いい方向に向かっているのだと信じたい。

 

 

 

 

ってことで、今日はこの辺で^^

 

 

では、またね〜カエル飛び出すハート