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『謎とき日本近現代史』

1の問い


日本はなぜ植民地にならなかったか➁

『謎とき日本近現代史』日本はなぜ植民地にならなかったか➀

の続きです。

 

ギザギザギザギザギザギザ

 

 帝国イギリス 

日本が植民地にならなかった要因として、

以上のような

官僚やブルジョアジー育成の制度化のはやさを

指摘することができますが、

ただしこれだけでは、

日本のもつ相対的に有利な条件を1つ述べたにすぎず、

きわめて不十分です。


そのほかに、どのような事情があったのでしょうか。


ここでは、異なった角度からの説明を

2つ提示してみたいと思います。


1番目の説明のために、

日本が開国した時期にあたる、

1850年代から60年代にかけての世界情勢を

みてみ ましょう。

日本では、安政・万延(まんえん)・文久・元治(げんじ)・慶応、

といった年号のつづく時代です。


この時期、イギリスの資本主義は絶頂へと達しつつあり、

さまざまなイギリス商品が世界中に輸出されていました。

イギリスが世界に冠たる海軍力を必要としたのは、

何よりも、その輸出船団の航海の安全を守ることが

必要だったからです。


世界最大の帝国イギリスの動きは、

アジア地域でも活発でした。

具体的には、

この時期までにインドの直接支配をほぼ実現し、

さらにアヘン戦争(1840~42)を遂行して、

中国を屈服させることに成功しています。

広大なインドと中国は、

資源獲得の点でも市場拡大の点でも、

とてつもなく魅力的でした。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E7%89%87%E6%88%A6%E4%BA%89


イギリスは、中国からお茶などを大量輸入するかわりに、

インド産アヘンを中国にもちこみ、

インドへは綿布を売るという、

貿易の循環をつくりあげていきます。

 イギリスの判断 

 

イギリスにとって、

自国の優れた商品を相手国に輸出する際、

たとえば相手国から法外な関税

(国境を通過する物品に課す税のこと)

をかけられるような事態は大きな障害になります。

このためイギリスは、つねに貿易の障壁をなくす方向で、

輸出先の相手国に圧力をかけていきました。


つまりイギリスは、その強力な海軍力を背景に、

世界に対して自由貿易主義を強いていったのです。


そうすると、イギリスにとってもっとも望ましい政府とは、

自由貿易を合理的に推進することに全力をつくす政府だ、

ということになります。

これは、イギリス本国の政府にも

貿易相手国の政府にもあてはまります。


ここから、

イギリスがもてる軍事力を行使するかどうかの

重要な判断基準の一つをみちびくことが可能です。

商品輸出を拡大したいイギリスにとって、

たとえ積極的とはいえなくても、

貿易関係に最低限干渉してこない相手国政府であれば、

分割占領したり、植民地化したりする必要度は低下します。


1860年代、江戸幕府は弱体化しつつあったものの、

攘夷(じょうい)の世論にのせられて

イギリス商品のボイコットを必死になって

指揮したりはしませんでした。

さらにできあがった明治政府も、

幕末の不平等条約をふくめて国際法を

遵守(じゅんしゅ)していく決意を明示します。


イギリスにとって、日本は相手にしやすい存在だったのです。
 

ギザギザギザギザギザギザ

 

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