「18東大日本史本試Ⅳを考える②」の続きです。

問題は「東大教室(18東大日本史本試Ⅳ 問題)」をご覧ください。


第4問 近現代(総合)

教育勅語と時代の変化

解 説

四角グリーン勅語の「排除」「失効」(設問

設問は、教育勅語が「排除」「失効」(1948.6)とされた理由について、「日本国憲法」と文章(2)をヒントにして考える問題。

比較的とりくみやすかったと考えられる。

勅語とは「天皇のことば」(『世界大百科事典』)のことをいい、すでに記したように、とりわけ教育勅語は文書化され、事実上法的な拘束力をもっていた。
この点が「日本国憲法との関連」でまず問題になる。
いうまでもなく、日本国憲法下の象徴天皇は「国政に関する権能を有しない」存在(第4条)だった。

また文章(2)を読むと、敗戦後に日本側が検討した「新たな勅語」の方向性を知ることができる。
「国民教育の新方針並びに国民の精神生活の新方向を明示し給う」の部分に反応できればよいだろう。

日本国憲法は、「思想」「良心」「信教」「表現」「学問」などの自由を明確に保障している(第19・20・21・23条)。
これらはいずれも「国民教育」や「精神生活」と密接不可分の関係にある。

「新たな勅語」の内容が仮にどれだけ理想主義的なものだったとしても、神聖視された教育勅語が過去に果たしてきた役割を考えれば、精神(内面)の自由を拘束する可能性が高く、それは決して容認できないものだった。

さて、問題をあらためて見直すと、戦後直後の時期(占領初期)に日本社会のあらゆる側面が改革の波に洗われたのに、教育勅語の「排除」「失効」が1948年6月にずれこんだのはなぜかという疑問が湧いてくる。
おもな理由を2点指摘しておきたい。

第1は、日本政府内に教育勅語を残したいと考える政治家や官僚らがいたこと。
この点については、「(2)は、1946年3月に来日した米国教育使節団に協力するため、日本政府が設けた教育関係者による委員会が準備した報告書である」という設問の表現からも推論可能だろう。
間接統治方式が採用されたため、GHQはすべての指示を一方的に日本に押しつけて物事を済ませるわけにはいかなかった。
政策の立案・遂行過程で日本側の意向が採用されたり反映されたり激しい議論になったりするのは、占領期にしばしば生じた現象だった。

第2には、GHQ内部にも新「教育勅語」作成を模索する勢力が存在した点を指摘できる。
戦前日本の教育事情を熟知していた彼らは、天皇制と深く結びついた教育勅語の重みも十分認識していた。
その強烈な存在感を円滑な占領統治に役立てようとしたのである。

本問からも推測することができるように、新「教育勅語」構想は検討段階で立ち消えになった。
その構想は、形式・内容の両面で立憲主義の精神と相容れないものだった。
ここではあらためて、占領政策の多くがこうした日米間のさまざまな日常的駆け引きのなかで遂行された点に注意しておきたい。

解 答
日本国憲法で天皇は国政に関する権能を有さない存在とされ、また思想・良心・信教の自由が保障されたため、国民の精神生活を縛ってきた教育勅語は形式・内容ともに立憲主義に適合しなかった。

(90字)
 

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