27-9 寺請制度

 

寺院について、江戸幕府は、寺院法度(じいんはっと)本末制度(ほんまつせいど)(宗派ごとに本山(ほんざん)・本寺(ほんじ)の地位を保障して末寺(まつじ)を組織させた制度)による統制を図ると同時に、寺請制度(てらうけせいど)を整えていった。

 

寺請制度とは、民衆を檀家(だんか)として宗門改帳(しゅうもんあらためちょう)(宗旨人別帳(しゅうしにんべつちょう)・宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)などともいう)に記載し、キリシタン日蓮宗不受不施派(にちれんしゅうふじゅふせは)(世俗の権力から距離をとった日蓮宗の一派)ではないことを証明する(宗門改め(しゅうもんあらため))制度をいう。

 

島原の乱(しまばらのらん)(1637~1638)後、幕府は、絵踏(えぶみ)を強化するとともに、寺請措置を民衆に強要することで禁教政策の徹底を図った

 

この制度の徹底によって、寺請証文(てらうけしょうもん)宗旨手形(しゅうしてがた)、婚姻・移住・旅行や奉公人雇い入れなどの際の身分証明書)発行などの原簿となった宗門改帳は、戸籍(こせき)の役割をも果たすことになり、同時に寺院は、個人の信仰の場ではなく、おもに葬儀・法要を営む場として幕府による民衆支配の末端機関と化すことになった。

 

踏 絵

岩生成一監修『シーボルト「日本」』雄松堂書店

キリシタンを摘発するために実施された、キリスト像やマリア像を踏ませる行為のことを絵踏といい、その際に用いられた画像類のことを踏絵(ふみえ)という。