「堂々と『sayonara』を! ➊」の続きです。

 

僕たちはいつも勉強してきた

 

話は変わりますが、今から200年ほど前、日本でいうと江戸時代後半にあたる19世紀初頭、日本の北方を調査していたロシア帝国海軍の軍人が日本側に捕縛されました。

ゴローウニン事件です。

 

彼は、2年を越える長期の捕虜生活を送りながら日本社会を真剣に観察し、当時の日本の教育水準を次のように形容しました。

 

日本の国民教育については、全体として一国民を他国民と比較すれば、日本人は天下を通じて最も教育の進んだ国民である。

日本には読み書きのできない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もいない。

(ゴロヴニン著・井上満訳『日本幽囚記(下)』岩波文庫、1946年)

 

江戸時代の日本には、庶民教育のために国家の意思で創設された学校はありませんでした。

これに代わる役割を果たしていたのが寺子屋(手習所)です。

 

寺子屋は、受験的には「子」の字は「小」じゃないよと注意される語句ですが(笑)、原則として幕府や藩からの援助や干渉を一切受けることなく自然発生的に生まれた教育機関でした。

 

国家的な強制力を何ら伴わなかったにもかかわらず、幕末期の寺子屋総数は7万5000件程度、日本人の初歩的な識字率は80パーセント程度に達したと考えられています。

「最も教育の進んだ国民」だという、ロシアの軍人ゴローウニンの分析は決して的外れなものではなく、江戸時代に生きた人々が自主的に形成した教育力の到達点は、実に見事だったといえるでしょう。

 

君の居場所はほかにある

 

未来のかたちは、誰にもわかりません。

でも、社会のうねりがとてつもなく巨大だということ、これだけは確かです。

 

間違いなく、本質的な変化は唐突に表面化し、そののち日常の風景は急速に別のものへと転じていくはずです。

 

だから、もしも君にとって、再生という課題に直面している学校が「生き地獄になっちゃう」なら、飛びだすことも本気で検討してほしい。

勉強する志(こころざし)さえあれば、日本には学ぶことのできる場が無数に用意されています。

僕たちが生活している社会は、そうした伝統を誰に命じられることもなく育(はぐく)んできました。

 

繰り返しになりますが、同じような存在であることが大切だった大量生産型社会は終わりつつあります。

だから、多数派とは異なる人生を歩むのは、そのこと自体に大変な重みがあります。

 

ちょっと苦労するかもしれない。

でも、歴史とは常に少数派によって突き動かされてきたことを思い出してください。

 

つまり、いじめられている君には、未来の扉を開ける資格があるのです。

怖がらないで前を向いて、「sayonara」を告げる使命を堂々と果たしてください。

その価値ある選択は、毎日が充実したものになる可能性に満ちています。

 

きっと楽しいよ。