18-2 得宗専制政治

 

2度にわたる蒙古襲来(もうこしゅうらい)(元寇(げんこう))と継続的な警戒態勢の維持は、全国規模の軍事動員を通して北条氏の権力をさらに強大化させ、得宗専制(とくそうせんせい)を確立させることになった。

得宗専制政治は、次のような特徴をもっている。

 

 幕政

合議にもとづく政治が転換し、得宗北条氏の本家を継いだ者)の強力な政治指導力のもとで、御内人(みうちびと)(得宗家に仕えた家来)が幕政を主導するようになった。

 

こうしたなかで、1285年、有力御家人安達泰盛(あだちやすもり)らが内管領(うちかんれい)(御内人の代表)平頼綱(たいらよりつな)に滅ぼされる事件(霜月騒(しもつきそうどう))が発生し、これによって得宗専制は決定的なものになったと考えられている。

なお、平頼綱もまもなく北条貞時(さだとき)に滅ぼされた。

 

 全国の守護

守護は、次第に国衙(こくが)に対する支配を強め、地方行政官として大きな役割を果たすようになっていた。

得宗専制期になると、北条氏一門が全国の守護職(しゅごしき)の半数以上を独占する事態が生じた。

 

守護と北条氏