15-4 京都を舞台とする内乱

 

「日本史の基本63(15-3 院政期の社会)」にも記したように、武士の存在感がますます強まるなかで、12世紀には、保元の乱(ほうげんのらん)(1156)、平治の乱(へいじのらん)(1159)があいついで発生した。

 

この京都を舞台とする内乱の結果、伊勢平氏(いせへいし)の勢力が飛躍的に伸長し,平氏政権(へいしせいけん)が成立する。

 

 保元の乱(1156)

鳥羽法皇(とばほうおう)の死を契機に発生した。

皇室や摂関家の内紛(ないふん)に源平の武力が動員され、源平の武力によって内紛が解決された

勝者は、後白河天皇(ごしらかわてんのう)平清盛(きよもり)源義朝(よしとも)ら。

その後、後白河天皇が院政を開始し、また平清盛と源義朝の対立が深まった。

 

 平治の乱(1159)

平清盛・源義朝の対立に、院近臣(いんのきんしん)間の対立がからんだ戦い。

勝者になって武家の棟梁(とうりょう)としての地位を確立した清盛は、勢力を増大させて平氏政権を成立させた。

 

保元の乱と平治の乱