11-4 摂関政治

 

摂関政治(せっかんせいじ)とは、おもに、10世紀後半(969年の安和の変(あんなのへん))から11世紀半ば(1069年の延久(えんきゅう)の荘園整理令)にかけて、とりわけ藤原道長(みちなが)頼通(よりみち)父子の時代をさす。

 

 摂関政治の条件

娘を皇后(こうごう)や皇太子妃(こうたいしひ)とし、天皇との外戚(がいせき)関係を築くこと。

 

 藤原氏への権力と富の集中

大きな権力をもつ藤原氏(摂関家)は役人の任免権(にんめんけん)を掌握

このため、国司など利益が手にはいる職に就くことを望む中・下級貴族からの貢納物(こうのうぶつ)も、藤原氏(摂関家)に集中した。

 

 国政の形式化

政治は次第に先例・儀式を重んじるものになるが,国政上の重要問題は陣定(じんのさだめ)と呼ばれる公卿(くぎょう)(上級官人(かんじん)の総称)会議で審議された。

 

一方で日本の貴族社会は、大陸文化の吸収・消化を土台にしながら多様な独自性を発揮しうる段階に到達し、みずからの風土(ふうど)や嗜好(しこう)に適合した国風文化を開花させることになる。