7-6 初期荘園の形成と衰退

 

墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)の存在は、貴族や大寺院が競うようにして土地の開発を進める契機になった。

これによって拡大した私有地のことを、初期荘園(しょきしょうえん)と呼んでいる。

 

したがって初期荘園とは、墾田永年私財法などにもとづいて、貴族や大寺院が土地の開発、墾田(こんでん)の買収をおこなって獲得した、輸租(ゆそ)を原則とする荘園、ということになる。

開発は付近の農民を雇(やと)って進められ、そののちも賃租(ちんそ)と呼ばれる方法で経営された。

 

しかし、多くの初期荘園は、特定の荘民(しょうみん)をもたず、国家機構やその地域の有力者(郡司(ぐんじ))などに依存して労働力を確保したため、9世紀以降,郡司の後退・弱体化とともに衰退していくことになった。

 

 輸租と賃租

輸租は租を国家に納める義務があること、賃租は農民に土地を貸して収益をあげることをいう。

 

 郡司の後退・弱体化

郡司の後退・弱体化は、受験日本史における重要ポイントの1つ。

「教科書の研究(郡司と受領)」を参照しておいてほしい。