開けっ放しの南向きの窓
厚い雲から降る
ぼんやりとした光と
粒の大きいぺとぺととした雨音が
僕の部屋へ
染み出している

君は身体を僕の方に預けている
後ろから君を抱き包む
心地よい体温を感じている
まちの澄んだ大気が
気だるい部屋の空気に
僕の部屋へ
染み出している

二つがゆっくりと
本当に遅々とした速度で
マーブリング液のように
混じり合うのを
秋が近づいているのを
僕達は確かに感じている
誇りを取り戻せ
閉ざした口をもう一度
満を持して開けよう
自分は何者か
何ができるのか
何を誰とどのようにしたいのか

誇りを取り戻せ
誇りを持つ人間が
未来への光明なのだ
誇りを持つ人間が
唯一自由に空を舞うのだ

空を見よ
悠然と円を描くあの鳥は
自らの翼に
その四肢の隅々に
誇りを湛えている
鳥が鳥であるという
只その一点において
彼はあんなにも気高い誇りを湛えている

さればお前も
お前がお前であるという
只その一点において
誇りを取り戻せ

誇りを取り戻せ
芸術とは何だろうかという問いがある。
みなさんなら何と答えるだろう。
ある人は爆発だ!と叫ぶかもしれない。ある人は永遠だと続けるかもしれない。
たぶん、考えた末よく分からないねというところで話は終わり、10人居れば10人の芸術があるとかないとか、高田馬場の居酒屋で語られているふやけた会話程にも面白くない結論だけが待っているのかもしれないが、そういう話ではない。
僕は美というものがそれに大きく関係するのではないかと思う。

少年がプロサッカー選手のプレイを観て、ああ自分もそうなりたいと行動へ駆り立てられる感情。少女がカラー印刷されたモデルをスクラップして夢見る自分の姿。そういう衝動にも、もちろん美は潜んでいる。
しかしもっと純粋に言えば、学校の音楽室から聴こえてくる、同級生の下手くそなドビュッシーにも、目を閉じて1番に浮かぶ絵や写真にも、祖父に連れられていく神社や教会静けさにも、美は潜んでいる。
芸術は、あるいはそれは人の営みであるという語源をふまえて語るなら、芸術家はと言っても良い、美を志向することなのではないだろうか。
純粋に美を自分のものにしようとするとき、芸術が生まれるのだと思う。