それは皆が一律にして考えることを辞めた時だ。

 

 我々は自由に生きることに飽きているのかもしれない。

 

 そろそろ不自由な時代が必要なのだろう。

 

 

 

 絶対王政という名のもとに国民が虐げられていたのであればそれが覆される時、すべての責任は王と王政にあるはずだ。

 

 

 では民主主義が覆る時、その責任の所在はどこにある?

 

 

 簡単だ。すべての責任は民衆、つまり有権者一人一人にある。

 

 

 逃れることはできない。

 

 

 

 自分たちの代表を選ぶ時、それは信認なのか丸投げなのかによって大きく異なってくる。

 

 

 多くの人間が政治に対して無関心であるならば、後者になるだろう。

 

 

 

 自分たちが嫌々払う税金の使い道は、彼らに委ねているはずなのに肝心の選挙には行かず、文句だけは一丁前。

 

 

 なぜそうなっているのか理解できないまま、言われるがまま、あの人が信用するなら間違いないと誰かの賭けに賭ける間抜けがほとんどだ。

 

 

 だから、民主主義は愚かだとバカに言われる羽目になる。

 

 

 

 日本は小選挙区制という愚かな道をかつて選択した。

 

 

 自ら、民主主義の選択肢を狭めたのだ。

 

 

 

 ひとつの選挙区に立候補する場合、新車一台買えるほどの供託金を積まなければならない。

 

 

 小選挙区制になってしまえば資金力のある政党しか全国津々浦々まで候補者を立てることができない。

 

 

 つまり、カネを持つ政党が有利になる。

 

 

 ある意味、民主主義を資本主義に売り渡したことになるのだ。

 

 

 

 結果として、有権者はカネのある人間にしか投票できなくなる。

 

 

 それが選挙に行かなくなる、政治への関心を捨てる、それは時間と共に禍々しく大きくなって、次第に国の未来に対しての諦めへとつながる。

 

 

 

 もしこの状況を敵対勢力が狙ったものだとしたら、見事に成功している。

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2026年2月7日にnote.comに掲載したものです。