平穏な日常が戻るには思いのほか時間がかかるが、何が起こったのかを知った時、その原因が自然ではなく人為的であって、明らかな敵がいるんだと理解すると不思議なことに人々の結束は強くなる。
こうなると、それまでの世界平和論調はどこ吹く風で、まず自分たちが受けた仕打ちの報いをどうやって晴らしてやろうかという恨み一色。
実にわかりやすい展開だ、集団としての恨みに終わりなどない。
さて、はるか昔にアジア人はアジア人によって統治されるべきだという大義名分で、欧州列強の植民地をことごとく植民地にしていった時代があったらしいが、現地人にしてみれば一貫して終始迷惑な話でしかないだろう。
今回、たまたまわたしたちは運よく誰かの一方的な支配を回避できたが、どうかしたら言葉が違う人間たちによって統治されていたかもしれない。
そこには当然にして強制が伴うから、少なくとも好きな時に寝て起きて、食事をしてといったささやかな自由すら危うかった。
もしそんな事態に陥ったとして、それは人の道に反すると誰が裁き、理不尽を取り除いてくれるのだろうか。
失ってから遅いものは何も、信用や技術だけではない。
両手両足に枷がかけられてから、しまったと気づいても遅い。
そこから這い上がるために何代もかけて戦ってきた人たちの苦労に思いを馳せなかったからこその報い。
神や仏に祈り願ったとしても十分に遅い。
恨みを晴らそうという強い感情を根にした活力は驚くべきで、何も無ければ役目を終えようとしていた鉄道を足掛かりに、少なくとも個人個人がそれなりに不自由なく生活できるまで環境を回復させた。
また、身近に得られる情報から、南の海上から発射されたミサイルが都市部を中心に着弾したまでは判っていたものの、どこの国がそれをやったのかまでは判ってはいなかった。
どうやら世界は、わたしたちはこのまま滅びゆくと思っていたようで、彼らはかつての恨みを晴らしただけだと、そういう認識で大半を占めていた。
本土に攻め込まれた経験の無い大国にとってみれば、武器弾薬がより良く売れるだけの話で、なかなか情報が流れてこないのも頷ける。
わたしたちは自らの命を守るために、油断をするべきではなかった。
加害者が唱える国境の無い平和論ほど、被害者たちにとって腹立たしく、感情を逆なでさせるものなど無い。
そこをよく理解しようともせずよくもまあ、我々が生き残るために必要なのは屈服でも懺悔でもなく、ただただそれでも対等であるための努力、ある意味での傲慢さだけだったのかもしれない。
※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。
※この作品は2025年4月26日にnote.comに掲載したものです。
