政治家はお金に困らないのでお金をもってる事で偉いと勘違いして国民の生活など真剣に考えてないです
これは令和六年で起きた米の品薄と価格の高騰の際に書いた記事へのコメントだが、これを見てまさか多くの有権者がこのように思っているのではないだろうかという仮説が立った。
「政治家はお金に困らない」は本当か?
お金に困っていなければ、裏金問題などそもそも起こりはしないだろう。
ちなみに、国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律によると、一般の国会議員で令和六年十月現在、年二回の期末手当と調査研究広報滞在費を含めてざっと計算しても年間三千五百万円程度である。
国から給与が支払われる国家公務員である公設秘書をおけるが、私設秘書を設ける場合は自費で賄う必要がある。
また、政党には選挙の際に得た得票数に応じて、一票あたり数百円の政党交付金が支給される。
選挙にはお金がかかると言われるが、所属する政党が全額面倒を見てくれるのか、あるいはすべて個人負担なのかはそれぞれ異なるだろう。
仮にも日本の国会議員が都内で生活するのもやっとというのでは、それはそれでどうかとは思う上、そもそもそれでは人が集まらない。
公の人物として何かと騒がれる以上、公私ともに常に誰かの目があることを意識しながら生きていく必要がある。
最近では年金保険料の納付履歴をはじめとした過去まで探られるようだ。
立場を利用して酒池肉林に溺れているのならともかく、完全に清廉潔白な人物でなければ日本の国会議員の資格なしと言わんばかりの扱いは、まるで某国のような、共産党員資格を得るために人民の模範たる人物でなければならないと迫る勢いで、むしろ共産主義者の疑いを持たざるを得ない。
そもそも、公の顔と私人としての顔との両面を見極めたうえで、有権者は自分たちの身を委ねてもよいと思える人物に投票を行ってきたはずである。
その人物たちが使用する費用や、その人物たちが集まる政党に交付される政党交付金は、法律で免除されている分を除いて、政治資金規正法によって公開されているので、問題があるなら罷免するか、次の選挙で落選させるという判断をする必要がある。
つまり、一度でも当選させたならその責任はわたしたち国民にあって、それぞれの有権者にあることを忘れてはならないだろう。
そんな息苦しい立場に自ら進んでなろうという人間は、自分の商売がうまくいかなくなってきたか、かつてJRにタダで乗れるなどとマスコミの前で嬉々として話して顰蹙を買った元議員のように、そもそもお金を持たず、お金自体に憧れと欲を持った人間が集まるのがむしろ自然だと受け取ってやむを得ないのではないだろうか。
どちらかというと、すでに成功した実業家など、十分にコミュニケーション能力と資力を持った人物が国会議員になったほうが国の利益になるのは誰が見ても明らかだろう。
ゆえに、現実はお金が無い人ほど国会議員になっている可能性が高く、逆にお金と実力を兼ね備えた人物ほど、国会議員になっていない可能性が高いのではないだろうかと思えてならない。
お金を持っていることで偉いと勘違いしているのか?
次に「お金をもっていることで偉いと勘違いして」だが、これは根拠を示すものが無い。
先生と呼ばれることで人によっては偉いと勘違いすることはあるかもしれないが、そもそもそんな人物に投票をするべきではない。
さっさと罷免するか、次の選挙で議席を他に与えるしかないだろう。
国民の生活など真剣に考えてないのだろうか?
これについても具体的な根拠を示すものが無い。
ただ考えられるのは、代々政治家を継ぐ家系や、かつて実業家だった時代に政治家となった人物の子孫であって、庶民の生活水準とズレがある国会議員もいないとは言えないだろう。
経験のない苦労や視点は、残念ながら身をもって知るしかない。
国の利益にならないと考えるのであれば、さっさと罷免するか次の選挙で議席を取り上げたうえで、実際に庶民の生活を経験してもらうことを期待するしかないのかもしれない。
冒頭取り上げたコメントのような印象は、世界の歴史を見ても庶民が権力者に抱くものとして決して珍しいものではないだろう。
※このコラムは2024年10月14日にnote.comに掲載したものです。
