彼女はごくごく一般的な女子高生で、家庭も恵まれている環境に育った。
ただ、携わる環境につきまとう人物に恵まれなかったのだろう。
容姿でも能力でも、突出した人物の足を引っ張ろうとする他者の妬みや僻みは、時に一人の人生を大きく狂わす。
そういう事だったと思わないと仕方がない。
今頃それらを画策した人物は、ほくそ笑んでいるか、行為自体忘れてしまっているのかもしれない。
ただ、忘れてはならないのは私たちの世界は決して、目に見えるものだけしか存在しないとは限らないという点だ。
正当な恨みや呪いを買ってしまったそれら人物は、必ずやどこかのタイミングでその代償を支払う事になる。
そして、それは等価とは限らない。
例えば彼女は、何も問題なく、普通の家庭を持ち、普通に自分の生涯を全うしたかもしれない。
しかし、何らかの欲と妬みと僻みで、彼女の人生を狂わせ、ひいてはそれまで代々続いてきた家の名前まで汚した結果になった。
この結果は、彼女の代々続く先祖の恨みを見事に買ったことも同時に覚悟しなければならない。
これを仏教用語で因縁と呼ぶが、仮に生まれ変わって理不尽な環境下に置かれたとしても、犯した罪の代償の一部とされ文句は言えないだろう。
そうして、もはや一人の人間の器では収まらない罪を抱えた人物は、その魂が存在しうる限り罪人として永遠に漂う事になるかもしれない。
仮に、成仏できない人間が心霊スポットで漂っているのが事実だとするならば、なぜそうした存在が漂う事になっているのか、答えは出ている気がするがどうだろう。
余計な訓垂れで他人の人生を下手に惑わすのも控えた方が良い。
生きているうちにはその愚かさゆえに気づけない人間がほとんどで、死んでからしまったと後悔するかもしれない。
そしてある意味、その優劣で世界は回っていると考えると納得がいく。
彼女は明らかにそれら被害の先で今ここに座っている。
もし、彼女が犯した罪があるとすれば、関わる人間をちゃんと選べなかったことだろう。
とはいえ、それだけの代償としてはあまりにも大きい。
子供に対する罪は致し方なく、その子供に償うほかない。
彼女は今、仕事をしていないという。
母親がつい最近にこの世を去ってから、思いつめて今という事だろう。
僕は当然、彼女に死んでほしくはない。
自分の事を私なんて表現したのは後にも先にも、はじめてこの喫茶店で彼女と話した時だけだった。
それだけ、彼女の存在は僕にとって特別らしい。
思い返すとなんだかむずがゆいが、恥ずかしいことは何一つしていないはずだ。
さて、遺体は一定期間安置した後、警察署から火葬場へと運ばれるのだが、その火葬場が人員を募集しているらしい。
どうだろう。
おそらく、彼女の子供も母親もそこで土に帰ったはずだが、そこに居場所を作ってもらった方が精神的にも安心だ。
そう彼女に提案する。
僕もちょくちょく仕事中に顔を出せるし、どうだろうと。
それがきっかけとなって、喫茶店で会うのもそこそこに仕事や秘密も共有する特殊な間柄となって、付き合うようになった。
年は一回り離れているが。
彼女がぴったり30歳になった時とはいかなかったが、次の誕生日に結婚を申し出てみようと思う。
※この物語はフィクションであり、実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。
※この作品は2024年4月3日にnote.comにて掲載したものです。