毎月10万円という金額は多いだろうか、それとも少ないだろうか。
それが国から支給されるという前提の中で生きることが出来るとしたら。

 

 

 これはもちろん、普段の生活費と考えての話だ。

 

 現代では実現しているこの話も、創設されて移行するときは多くの年金世代から反発があった。

 

 

 それはなぜか。

簡単だ、自分たちよりも下の世代はすべて好待遇となるからだ。

 

 ねたましく思う人間が出てくる。

 

 

 なぜ、自分たちよりもいい思いを、楽な人生を送ることを国として可能としようとしているのかと。

 

 

 そんな単細胞らがどれだけこの国にいたか統計をとると良かっただろう。

 

 

 それを言い出したら、戦中戦後を生きた世代が大多数健在なら、さぞ同じように何かにつけてこれまで責められていただろう。

 

 

 もったいない。

 水を無駄に使うな。

 使い捨てなんて罰当たりな。

 

 社会や平和は日進月歩だ。
人間は進化する生き物で、親よりも当然子供の方が賢い。

 

 

 感情的にも逆の方が望ましいかという話になる。

 

 話を戻すと、月5万円の家賃で生活するとしたら、残りの5万円でほかの費用を賄う必要がある。

 

 

 都内や地方の人気のある場所では10万円でも足りないかもしれない。

 

 

 また、物価の変動の影響も考慮する必要がある。

 

 

 1年前に1万円で買えていた物が、気が付けば2万円で買うほかなくなったというような物価の上昇下にあれば、毎月10万円支給されていても、実質その10万円は5万円の価値しかないからだ。

 

 

 こうなると支給額を倍に増やさなければならなくなる。

 

 ゆくゆくはこれが制度の破綻につながる可能性もあるだろう。

 

 では、どうすればいいのか。

 

 それは政府が得る税収や、それを裏付けて発行する国債で日本円を調達し、ゴールドやGDP上位に位置する資本主義国を中心とした海外国債を安い時に仕入れておく仕組みを持つことだ。

 

 

 そして、その仕組みはできるだけシンプルにしておかなければならない。

 

 

 透明性と目的のある政府資産は、よりよい社会の実現に必要だ。だが、問題なのは一部の利権や私利私欲のために権力や立場を利用した構造を温存するための資産は、結局は体制全体への反発へとつながりかねない。

 

 年金制度が廃止に動く前、政府は年金支給の税収負担増加を理由に、増税もしくは、支給額の実質据え置きなどを軸に進めた。

 

 

 物価がわずかながらでも上昇する局面においては、ある程度有利な年金受給資格を持っていないと、とてもではないが生活できる状況ではない人たちが徐々に出て来始めたのである。

 

 

 政府は、そもそも年金だけで生活をすることを想定した制度ではないとして、ある意味開き直りともとれるスタンスをとった。

 

 

 年金は、足りるか足りないかは別として、最低限いくらか支給しておけば義務は果たされるからである。

 

 

 これは何も2020年代に決まったわけではなく、それよりもずいぶん前に決まったことであるため、いまさら何をという話になった。

 

 

 仕方がない、多くの国民が選出した国会議員からなる最高決定機関である国会がかつて決定した事だからだ。

 

 

 これは、民主主義が悪いわけではなく、国民が半ば思考停止的に過去の選挙を消費してきた、見事な責任の結晶だと言うほかない。

 

 当然に、年金だけで生活が出来ないのであれば、出来る仕事を見つけるほかないだろう。

 

 そうすると、かつて部下や目下の人間が責任者を務める会社や店に入ることになるわけだ。

 

 人間、生きていればいつ何時何が起こるかわからない。

 

 もし、現役時代に立場や権力をかさに、威張り散らしていたり、具体的でためになることを何一つせず、勝手な振る舞いばかりしていたのであれば、同じことをその身に受けることになるだろう。

 

 現代では、警察署の地下に自分の身の処分を決めることが出来る安楽死制度がある。

 

 

 もし、その恥に耐えられないのであれば、いつでもそこに行くといい。

 

 いつまでも被害者根性でいるのもいいかもしれないが、熟年離婚も多い中で、何らかの責任をとらざるを得なくなったときに、それはそれは大きな禍々しいものになり果てて、その身に降りかかってくるだろう。

 

 

※この物語はフィクションです。実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。

 

※この作品は2024年4月13日にnote.comへ掲載したものです。

 

 

 現代では入社式といったものを開催するところも少ない。いかにも日本らしい風習だが、年齢層も様々、新卒という概念もいわゆる総合単位管理制度の成立でもはや存在していない。

 

 

 死語である。

 

 

 教育は先に話したように、高校教育課程まで学力認定試験をそれぞれ受験すれば、たとえ13歳でも高校卒業認定を取ることだって可能だ。

 

 

 その後は引き続き大学課程を同様の方式で勉強することができる。

 

 

 優秀で明らかに専門性の知識とセンスと持ち合わせている人物は、研究機関に招待学生として迎えられる。この場合は博士課程まで本人次第だが突き進むことも可能だ。

 

 

 この場合は学生でもあるが、同時に職員としての肩書を持つために、費用どころか給与が支払われるケースもある。

 

 

 国がもつあらゆる基礎研究はこうして行う事で整理されている。

 

 

 ほかにも芸術性に関することは、さまざまな先人が創設した財団や学校法人が存在し、自費が必要にはなるがそこに進むことも可能だ。

 

 

 いずれにしても、何歳だからどこの何年生と導き出せる時代はすでにはるか昔の事に感じられるくらいには、しっくりきている。

 

 

 自費で海外の大学に留学することも、人によっては信じられない年齢でこなす人だって出てくるだろう。

 

 

 とはいえ、そんな卓越した人物だけがほとんどであるはずがなく、高校教育程度をようやくなんとか修了する人だっているわけだ。

 

 

 別に年齢制限があるわけではない。20歳を過ぎて30歳近くになり、子供を育てながらも修了する人だっているのだから気にしなくていい。

 

 

 家族が出来たのなら、最低給付保障制度もそれなりに大きな金額になっているはずなので、育児は大変かもしれないが、資金的にはより心配することなく学習することができるはずである。

 

 

 なんなら、子供と一緒に学習を進める時間を作るなんていう考え方だってできる。

 

 

 学ぶことを、働くためだと必ずしも位置づける社会ではなくなったところが現代の大きな特徴だろう。

 

 

 

 現在の制度にギリギリ間に合わなかった新人の藤沢さんが、学校を卒業してから、学生ローンの返済と、生活するために自分が携わりたかった電子工学・ネットワーク分野よりも、より稼げる運送業を選択したのもその時代に存在した選択肢で人生を選択した結果だ。

 

 

 それから、ドローンによる小荷物の各戸配送が標準化され、人手による運送は大きな荷物や引っ越しに業務が縮小された。

 

 

 ドローンでは運べないからだ。

 

 

 その分、携わるにはより体力が必要になり、危険も増す。
収入も増えるかもしれないが、若い人材も国内外問わず業界に入ってくる中、藤沢さんは静かに自分の立場を彼らに譲ったのだ。

 

 

 最近の地域の話によると、より強烈になる台風災害に備えて、もうちょっと奥の高台の広い土地を開発して、コンクリートで固めたまるで要塞都市のような集合住宅を建設することを計画しているらしい。

 

 

 人々が一軒家に住むような時代はそろそろ終わりを告げる可能性が高い。

 

 

 条件の良いところは分譲区画、そのほかは賃貸区画という計画が進められているが、またいろいろな意見や批判などを取り入れて、話し合いが進むにつれて形を変えていくだろう。

 

 

 空から見ると、らせん状に地面深く続くような住居要塞のようなものになるのではないだろうか。

 

 

 日当たりや衛生面が心配だし、他の街への連絡手段も駅などを作るのだろうが果たしてどうなるのか気になるところだ。

 

 

 

 ドアのハンドルを握るとピッと電子音が鳴る。
そのタイミングでガチャっと軽く引くと、明らかに重そうな金属製のドアだが、そうとは思えない力加減で開いた。

 

 

 指紋認証式なので登録してあると開錠され、開く仕組みだ。

 

 

 おはようございますといつものように、中の様子を窺うかがいつつ挨拶の言葉をかける。

 

 

「あ、おはようー。」

 

 

 奥の窓の光を遮るように壁際からひょこっと顔を出して、井上さんが挨拶を返してくれた。

 

 

 その隣で、新人の藤沢さんが「おはようございます」と挨拶を返してくれる。今日からここで仕事を覚えることになった。

 

 

 あの先輩がいる拠点でわたしも入社当時やったように、研修をやらないのだろうかと思ったが、そろそろあの設備も古く、こちらの設備のようにそのうち置き換わるから、であればもうこちらで覚えてもらった方が良いという判断だそうだ。

 

 

 個人的には、設備ではなくあの先輩と一度関わってもらいたいものだが。

 

 

 男性と二人きりとなると、あの事件を思い出さざるを得ないが、今回は井上さんも最近のマシンに疎くなってしまったこともあって、一緒に見たいしわかることは藤沢さんに教えたいという話だった。

 

 

 そうであれば、わたしの役目もそんなに重くなさそうだし、以前より難しくは無くなっているので短期間で済みそうである。

 

 

 

 どうせなら、わたしが動画を観て作ったような突貫工事の産物も見てもらって、ちゃんとした既製品を導入してもらわないと、下手したら今度はうちが火元になるかもしれないという事をわかってもらう事にしよう。

 

 

 

※この物語はフィクションです。実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。

 

※この作品は2024年4月12日にnote.comに掲載したものです。

 

 くも膜下出血、それがおじいさんの死因だった。
80歳をとうに過ぎて眠るような穏やかな最期だったが、表情には出ない苦しさがあったかもしれない。

 

 

 独身時代が長かったせいか、塩分の多かった食生活だったことは本人もそう言っていたらしい。

 

 

 由美さんがお母さんに代わって日々の食事を作ってくれることに感謝をして、そんな話をしたのだろう。

 

 

 血圧も高かったという。

 

 ただ、本人は簡単な薬と治療で良いと言い張り、以来、天気が悪くない限りは外の空気を吸いに出かけるのが日課だったらしい。

 

 

 外の友人というのも、道端で具合が悪そうにしていたところを声をかけてもらい、水をもらって落ち着いたことがきっかけだったと、葬儀の時に訪れてくれたその人が話をしてくれたのだった。

 

 

 この時が急性期で、もし本格的に治療をしていたらまだ、その命を永らえたかもしれないが、本人は何となく時期を察していたのかもしれない。

 

 

 掛け捨てだが医療保険にも入っていたはずなので、最先端の治療でなければ保障されていたはずなのに、自分の身体の自由がきくうちにという思いもあったのだろうと由美さんは言う。

 

 

 由美さんはウェブサイト運営の関係もあって、近代の社会についてもその時代の人を取材するなりしてよく知っている。

 

 

 かつての大戦で亡くなった遺族の年金や補償欲しさに、家族が無理やり延命治療を医者にさせていた無茶苦茶な時代もあったらしい。

 

 

 亡くなると何もかもが無くなるからだ。
場合によっては医者を訴えると言い、半ば脅しである。

 

 

 また、昔は国民皆保険制度といって、国民は何らかの健康保険に加入をしなければならなかった時代があった。

 

 

 健康保険料を毎月支払う代わりに、医療を受ける際は医療費の数割を支払うだけで出来るだけ安く医療が受けられる仕組みだった。

 

 

 当然、現役世代よりも高齢世代になった時の方が病院にかかりやすくなるのだが、平均寿命を超えている患者に、がん治療や投薬、年数千万もかかるような医療を施していたらしい。

 

 

 確かに、命を救うという使命自体は尊いが、そのリソースを必要としている子供や若者、将来起こり得る災害や対応に当たる部隊に割り当てるよう判断できる仕組みになっていれば、まだ違ったかもしれないという。

 

 

 それらは取材して調べて報道するメディアの役割りであるはずだが、どういうわけか一部スキャンダルや、どこも似たような同じような内容を末期には伝えてばかりだったようだ。

 

 

 そうしたメディアに限らず、ネットの動画サイトでも同じようなものだが、広告主の意向が大きく関係してくる。

 

 

 まだ、大手の企業が広告参入する前は、公共の電波に乗せることは到底出来ないような面白おかしい個人の動画も投稿できていた。

 

 

 いわゆる動画サイトの黎明期の話である。

 

 

 しかし、動画サイトがメディアにとって代わるような時代になると、上場企業などの大企業が広告主にどんどん参入してくる。

 

 

 そうすると、広告主の意向を尊重しなくてはならなくなる。

 

 つまり、それらに反する投稿者は軒並み排除されるわけだ。

 

 そして運営側にとっては収益が将来安泰となる。
むしろ願ったり叶ったりだろう。

 

 

 しかし視聴者にとっては、つまらないものと成り果てる。

 

 

 規制や資本が強すぎると、とたんにつまらないものになり、それまでの路線であれば生まれていたであろう新しい概念や、革新的な何かが犠牲になるのだろう。

 

 

 絶対的君主の顔色を窺わなければならないような管理された環境の国や、それに近い共産体制、これらにも同じようなことが言えるのかもしれない。

 

 

 正しいかどうかは歴史がよく知っている。

 

 

 おじいさんは入院生活に備えた話を由美さんに持ち掛けられたときは、とても嫌がったという。

 

 

 気難しい人ではなく、優しい人なのはわたしも知っているが、大部屋でほかの人と居合わせると楽しく話をしてそうなくらいの印象だったのに、その話を聞いた時には意外に思った。

 

 

 そのことも、おじいさんが生涯携わってきた仕事と何か関りがあるのだろうか。

 

 

※この物語はフィクションです。実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。

 

※この作品は2024年4月11日にnote.comに掲載したものです。

 

 

 「本当に申し訳ない。」
社長がそう頭を下げてわたしに言う。

 

 

 いや、それこそ社長は悪くない。
AIを活用した業務の自動化が進む中、意図的な操作も明らかになり、むしろ社長は被害者の立場でもあるのだ。

 

 

 労務管理は社長の仕事でもあるので、責任を問われるのは致し方ないが、それと彼らの最低な一連の行為は完全に別物である。

 

 

 日本人をはじめ、少なくともこの周辺国の民族は、責任の取り方や考え方、そしてその扱いがどうにも下手くそだ。

 

 

 とりわけビジネスや人間関係においても、いつまでも根に持ったり、引きずる傾向にある。

 

 

 いつまでも向き合わないのならともかくとして、一度話し合いで済んだはずの話を蒸し返す。

 

 

 そんな関係は被害者にいつまでも"たかられる"だけなので、さっさと切り捨てて断絶するしかない。

 

 

 断絶するとお互いにコミュニケーションが取れなくなるから余計に疑心暗鬼になり、根も葉もない噂や誤解が幾多の争いや戦争に繋がってきたことをいつまでも学ばない、気づかない、ただの愚かな民族だ。

 

 

 本人が進んで悪事を働いたのなら、当然その責任をとって、一生をかけて償う必要があるだろう。

 

 

 それは仕方がない。

 

 ただ、仕事上のミスで責任を取ることまで同じように責め立てるのは、出る杭を打つような他の意図があるように思えてならない。

 

 

 責任範囲の考え方は簡単だ。
例えば、株主は出資した額の範囲だけで責任を取ればいい。
つまり、出資した全額は失うが、逆にそれ以上の負担は一切求められず、それ以上の責任は追及されないのだ。

 

 

 株主は会社の連帯保証人ではない。

 

 それと同じく、仕事上の責任は仕事上の範囲で収めていいはずで、それ以上の過剰な責任追及はただの粛清に他ならない。

 

 

 もういっそ、ことごとく契約で責任範囲までいちいち定めたらどうだろうかと思うほどには、特に日本人は被害者根性が強すぎる傾向がある気がするのだ。

 

 

 これでは、いつまでたっても自ら責任を取りにいく人間が出てこず、皆横並び一線で出過ぎた真似をしないようにしましょうという、生産性も革新的な技術の向上などもない、ただの穀潰し集団と変わりがないはずである。

 

 ある意味、共産主義に等しい。

 

 

 会社の事務所が犯罪の現場になったと考えると、社長は今後被害者の心に気を遣いながら、二度と同じことが起きないようにする必要があるだろう。

 

 

 それが社長をはじめ、経営陣がとるべき責任ではないだろうか。

 

 

 加害者として裁かれたあの彼らは去勢されて刑務所に服役し、被害者に金銭的にも生涯をかけて賠償することになるだろうから、それはそれで放っておいていいだろう。

 

 

 会社も、彼らの行いで名誉を傷つけられたわけだからその損害を彼らに請求していくという。

 

 

 今回の事件はそのように決着がついた。

 

 

 いや、それこそ社長は悪くないです。
あの時、別に何も悪いことしてないじゃんって社長が言ってくれたように、わたしはたぶん、あの時の社長と同じ気持ちでいますよと伝える。

 

 

 「ありがとう。」

 

 

 社長が詰める質素な事務所にはほかに技術者が2名ほどいて、衝立の向こうで淡々と作業を進めている。

 

 

 わたしはこの後、以前からの話の通りに、退職した人の後を任せてもらう形で一つの拠点を引き継ぐことになった。

 

 

 このあと井上さんが合流してその事務所へ3人で向かう予定だ。

 

 

 今回の事件でどうなることかと思ったが、ほかの会社でも十分起こり得る事件だっただけに、会社の業績に重大な影響が出るような動きには幸いにもならなかった。

 

 

 なんなら、今回の問題を会社のウェブサイトに公開することで、ほかの会社がそれを参考に対策ができるようになり、評価を得られることとなった。

 

 

 自動化は便利で人件費がかからない上に、過度な労働を必要としなくなる良い面を持ち合わせるが、逆にそれを良いことに思いもしないような悪さに用いられる場合もあるようだ。

 

 

 おじいさんがいなくなってしまって、由美さんとしばらく一緒にいたが、会社でのわたしは今後どうなるんだろうという話もした。

 

 

 だが、心配していたようなことはなく、これまでよりもむしろ会社とはいい関係になれるかもしれない。

 

 

 

※この物語はフィクションです。実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。

 

※この作品は2024年4月10日にnote.comに掲載したものです。

 

 おじいさんはあの日、散歩に出かけたまま帰ってこなかった。
友達の家だろうと思われていたが、そのまま泊ってくることなどそれまでなかったため、由美さんは心配をしていたという。

 

 友達とされる人物宅は連絡先がわからなかったために、夜が明けて警察に相談をしようと思っていたところ、高台の霊園から連絡があった。

 

 その霊園とは、由美ゆみさんの母である真実まみさんが眠っている場所である。

 

 少し歩くが、かつての都心が見渡せる高台で、石のお墓ではなくそれぞれ個人の好きな木々の下に遺骨や遺灰を埋葬できるようになっていて、今では主流。

 

 一見すると、まるで霊園というよりは眼下の景色を見渡せる展望自然公園のようになっており、実際に公園のように気軽に出入りできる。

 

 管理人さんが巡回していたところ、紅葉もみじの木にもたれかかり、静かに眠っている人を発見した。

 

 声を掛けたが反応が無かったため救急に連絡、持ち物は携帯端末だけで、病院は家族からの連絡を待っている状態だったという。

 

 管理人さんが紅葉の木の下で眠っている故人を手掛かりに、由美さんに連絡をしてくれたのだった。

 

 由美さんが駆け付けたところで死亡が確認された。

 

 

 

 由美さんが知らせてくれたのはその後。

 

 しばらくして、おじいさんは静かに自宅へと帰ってきた。

 警察を経ていたこともあって、少し名の通っていたおじいさんの話を聞きつけて、かつての部下の方たちも訪れる。

 

 一緒にいてくれないかと由美さんから頼まれるまでもなく、お世話になっていたこともあり、家族のような気持ちでいるのでしばらく由美さんと共に過ごすことにしていた。

 

 まるで夢を見ているような、とても穏やかな表情だ。

 

 遺品の中にしっかりとジャケットを着た証明写真とともに「由美へ」と書かれた手紙があったのを一緒に見つけた。

 

 きっと、これまでの散歩の過程で準備したであろう一番のお気に入りの写真だったのかもしれない。

 

 あまり、自分の姿を写真にすることを好まなかったおじいさんは、携帯端末で撮影することすら嫌がる人だった。

 

 なので、あまりおじいさんの写真は残ってはいないのだが、引き出しの中にあった手帳には、由美さんのお母さんである真実さんとずいぶん若い時に撮ったであろう写真が数枚挟まっていた。

 

 それは見事な紅葉を背景にした二人の写真だ。

 

 由美さんは知らないと言うので、生まれる前の写真だろう。

 

 どこか慣れない、照れくさそうな由美さんのお父さんと、どこか吹っ切れたような笑顔のお母さん、この時間だけは本当に二人だけの時間だったんだなと伝わってくるようである。

 

 もしかしたら、こんな照れくさそうな顔で写っている写真たちを遺影にしてほしくなかったので、わざわざ証明写真で撮影したのかもしれない。

 

 由美さんは、お母さんがこんなに若い頃の写真は初めて見るようで、なぜ今まで見せてくれなかったのか少し涙ながら不満そうだった。

 

 家族は由美さんしかいない。

 

 おじいさんが土に還る日、真実さんがこの火葬場に勤めていたという。

 

 元部下の方の一人もよくこの場を訪れていたと話をしてくれたことから始まったのだ。

 

 「それまで結婚なんて様子はなかったんですが、こちらで奥様と知り合ってから、明るくなったんですよ。」

 

 それに対して由美さんも、
 「落ち込んでるようなときに母に声をかけてもらったと聞いてます。それがきっかけだったとか。」

 

 お父さんの仕事の内容は聞いてましたよね、と軽く確認をされながら当たり障りのないように「精神的にきつい仕事だった」と、話をしていた。

 

 この風景と匂いはあの時と全く変わっていない。
まるでここだけ取り残されたようにそのままだ。

 

 我々の話し声を除けば、風になびく木々の葉がざわめくだけ。

 

 おじいさんは、奥さんの真実さんの隣、紅葉の木の下で眠りにつく。

 

 由美さんが会ったことの無いお姉さんも、真実さんの隣に眠っている。

 

 もしかしたら、おじいさんは散歩で会いに来つつ、同じところで自分も良いか相談をしに来ていたのかもしれない。

 

 

※この物語はフィクションです。実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。

 

※この作品は2024年4月8日にnote.comに掲載したものです。