豚もおだてれば木に登るらしい。

 

 しかし、わたしはそれを残念ながら見たことが無い。せっかくだから一生に一度は目にしてみたいものだが、とは言え見たところでどうということはないだろう。

 

 インスタでは映えるかもしれないなんてちょっと思ったのは内緒だ。

 

 前内閣から一新し、まるでスパイの炙り出しを終えたかのように誰が信用出来て誰が信用できないかが明確になりつつある時代があった。

 

 

 大陸では、当時自分たちがまだ成立していなかったにもかかわらず、正式な継承者だとして大きな顔をしているようだが、日本もまた過去の外交でそれを安易に認めてしまったような形になってしまって今日に来ている。

 

 日本という一国の統治を憲法によって任せられた総理大臣が、中華民国の危機に際して、敵国の兵站に自ずと巻き込まれるのは明らかなために、これも日本という国の存立危機事態になり得ると、最悪のシナリオを想定した懸念を世界に向けて発信するのはごく自然のはずだ。

 

 危ないし、何をするかわからない相手だからだ。

 

 

 言ってみれば、先の文化大革命によって知識人はことごとく殺されており、その生き残りが大陸で大きな顔をしているわけだ。

 

 要は、バカの子孫しか生き残っていないと遺伝学から考えて自然だろう。

 

 だから、過去の約束など平気でなかった事にも出来るし、自分たちの事を批判されれば内政干渉だと猛烈に反抗する割には、独立国の総理大臣の首をなんとかするなんて内政干渉どころではない発言ができるわけだ。

 

 もうどこかで物理的な決着をつけざる得ない日がくると予言しておく。

 

 

 

 前政権まである若手の世襲議員大臣が、その頓珍漢でまるで世間とズレた考え方と言動があまりにもひどいとして批判をされてきた。

 

 しかし今回、防衛大臣に就任するや一転して、その独特な言動も大陸の無茶苦茶な言い分に対抗するに見事にフィットし、日本を守るという実に明確でわかりやすい使命に本人もしっくりきていると窺える。

 

 やはり、他者から与えられる明確な目的とレールは、自ら考え実行できる行動力に欠けた能力しか持って生まれてきていない人間に対して、最も効果が高いことが仮説としても大いに有力であることがより明確になってきた。

 

 これは素直に見違えるようである。

 

 このように、多様性と称して放任するバカな論理より、周囲が如何に当人に役に立ってもらうかを必死に見繕う必要がある場合、明確な目的を与えてやる方が一転して優秀な人材として生かせる可能性があるわけだ。

 

 前段に述べた予言をもしかしたらより良い方向に覆す、裏切る形に導いてくれることを願うばかりだ。

 

 願わくば、大陸の共産専制主義者が倒れ、長らく島に閉じ込められていた本来の大陸統治すべき継承者がそれを受け継ぐ日が来ますように。

 

 

 天にもつけあがるような愚か者は、必ずや滅びる。

 

 もっともらしいことを言い立て述べていても、冷静に一呼吸おいて考えてみるといい。

 

 なぜ、その理屈と順序が正しいと言い切れるのか。

 

 そもそも、その根拠は何処から来たのか。

 

 例えば、何故馴れたら麻痺をするのか、そしてそれが進化を停止することに繋がり、退化すると言い切れるのか。

 

 お題目に対して異議を認めないのが詐欺宗教のやり方だ。

 

 信じ込ませることが何より重要で、疑問を持たれたら終わり。

 

 それが支配の第一歩。

 

 

 

 なのでそこを知りつつ敢えて泳がせておいて、信じたふりをしておき、根っこから徹底的に殲滅除菌を図るのがもっとも賢明なやり方だろう。

 

 

 そのための知恵ならば、出来る限りいくらでも出そうじゃないか。

 

 

 天にもつけあがった時が最大のチャンスだと相場は決まっている。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年11月29日にnote.comに掲載したものです。

 

 

 

 独裁または権威主義国家は自由主義国家の経済を追い抜くことはできない、いわゆる1万ドルの壁といわれるものが存在する。

 

 この1万ドルというのは国民一人当たりのGDPを指している。

 

 つまり、どんなに勇ましいことを言っていようが、どんなに国民を鞭で叩いて鼓舞しようが、なぜかそれ以上の経済規模を得ることが難しくなるわけだ。

 

 詳しい論文も出ているようなので、興味のある方はそちらをぜひ読んでみると良いかもしれない。

 

 

 いやいや、日本は支那にGDPを抜かれているじゃないかって?

 

 独裁権威主義国家の発表する数字なんて当てにならないと、内部の重鎮からも証言が取れているのが面白いところだ。

 

 それはそうで、出世や中央への忖度が改ざんを助長する。

 

 数字が嘘をつく世界がそこには広がっていて、取りまとめる中央も真に受けずに大体このくらいが本当のところだろうと修正しているというのだから、何のためのプロセスなのか報告させなくてもいいまでありそうだ。

 

 そんなわけで権力が極端に集中し、中央や特定の人物のご機嫌取りや脱法賄賂の使いようによっては自分のこれからの人生が決まるわけだから、国を良くするというよりは自分の人生の安寧のために、必死なのは仕方がない。

 

 場合によってはいつ何時、粛清の対象にもなりかねないからだ。

 

 つまり、なんでそんなことをするのかと自由で安全な国から眺めていればついそう思ってしまうが、彼らにとっては生存本能レベルでの競争をそういうことでやっていると言ってもいいだろう。

 

 

 これにはおそらく結論が出せる。

 

 それは、中央との信頼関係が希薄だということだ。

 

 風の向きによっては命を取られかねず、ある日突然一族路頭に迷いかねないから、出来るときに出来ることをやっておくという思考になる。

 

 

 チェルノブイリ原発事故をご存じだろうか。

 

 あれも言ってみれば、現場管理者の保身が招いた悲惨で事故というよりはもはや人災だった。

 

 日本の原子力発電所で採用されているような堅牢な格納容器の中に炉心が存在していないタイプで、管理棟から直接制御棒の上端が伺えるようなそんなオープンな仕様だった。

 

 ある時、緊急停止訓練だと言って、極端に核分裂反応を上昇させて急停止させる装置が安全に動作するかどうかを見極める試験を試みたが、その肝心な緊急停止装置に欠陥があったようだと言われている。

 

 つまり、わざわざやらなければその日その時にあの大爆発と、数十万年まで残り続ける放射能に汚染された地域は生まれなかったかもしれないということだ。

 

 轟音と共に放射線測定器が限界を振り切ってもなお、そんなはずはないと所長以下管理監督者は現実を受け入れることを拒否したという。

 

 出世に関わるからだ。

 

 力も使いようによる。

 

 バカを育てることにしかならない力の使い方になっていないだろうか。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年11月24日にnote.comに掲載したものです。

 

 

 

 今どきの老害はすごいなあと思う。
きっと、老いてない頃はただの害だったのだろう。

 

 

 だったのか現在も遺憾ながら進行中なのか、差別をされているのではく区別をされている結果なのだと微塵も気づかないのが哀れだ。

 

 そんなものに普段から職制とはいえ上司や経営者だからと気を遣い、周囲の客は他に当ても無いばかりにそんなものに相手をせねばならんのだから気の毒に思う。

 

 

 その苦痛がいつかきっと、報われますように。

 

 

 

 わたしが指摘した内容がどう具体的に間違っているのか議論も出来ずに、周囲の人間を蔑ろにしているだの、生活リズムが狂っているからそんな考えに至るだの余計なお世話どころか、そもそも的外れもいいところ。

 

 

 そんなだから、バカだとわたしなんかに言われる羽目になる。

 

 

 悔しいかざまあみろ、この一言で十分だろう。

 

 

 

 戦争が無くならない理由が解るだろう?

 

 

 論点だけ見れば大したことないが、そこに立場やプライド、やたらと引き下がれない厄介なお荷物を抱えて議論に持ち込んでくる。

 

 

 それはもう議論ではない。

 

 

 相手の存在が消えるまでやり合うのが戦争だ。

 

 

 国同士での戦争は、政治的解決が平和的に、つまり話し合いではどうしても決着がつかない場合に起こるものだ。

 

 

 その原因が取り除かれれば、和平工作が行われ、互いの消耗戦が長引くことを回避できるだろう。

 

 

 戦争を知らずにぼくらは産まれた、そういえば親がそんな曲を聴きながら育った世代のように聞いた気がするなあ。

 

 

 わたしからしてみれば、実に皮肉が効いているように聞こえる。

 

 

 バブル世代か。どうやら赤子の手をひねるようなもののようだ。

 

 

 ますます嫌いになってゆく。

 

 

 

 もちろん、そんな人間ばかりではないことはよく理解している。

 

 

 ちょっと変わった話をしよう。

 

 

 

 白いコピー用紙が一枚目の前に置かれているとする。

 

 

 あなたは今、色違いのボールペンで12色の丸を手書きで描かなければならないとしよう。

 

 

 どうするだろうか?

 

 

 

 まず12色のボールペンを用意しなければならないが、それはすでに紙の横に並べられている。

 

 

 一本一本ボールペンのキャップを取って、きれいに丸を描き始める。

 

 

 別に間違いではない。

 

 

 どれだけの時間がかかるだろうか、想像してみて欲しい。

 

 

 

 わたしならこうだ。

 

 

 まず、12本のボールペンのキャップを取る。

 

 

 それらのボールペンをまとめて片手に持ち、描くのに十分な位置にペン先たちを紙の上に載せると、そのまま丸を描くわけだ。

 

 

 多少、色が混ざる部分はあるが、禁止されているわけではない。

 

 

 12色の丸を描ければこの課題はクリアできるのだから。

 

 

 

 ルール違反?ずるい?

 

 

 違う、あなたの常識や思いつきの限界を超えているだけだ。

 

 

 

 この時代の技術にも、実は応用されているものがある。

 

 

 一本一本描いていくスタイルはパソコンなどCPUがやるやり方。

 

 

 一気に描くスタイルはGPUというグラフィックボードがやるやり方だ。

 

 

 

 そんな一気に描けるスタイルを実現するグラフィックボードのペン先は、それこそ微細で精密でそして臨機応変。

 

 

 どんなに気を遣って製造したとしても、皆一列揃って同じく最高品質だとは限らない。

 

 

 ダメなペン先がほとんどない最高品質のものもあれば、例えば1割ほどダメなペン先が存在する中の上のものもある。

 

 

 4割ダメなもの以下であればそれは廃棄となるとすると、それ未満のものはグレードをつけて、それに応じた価格で販売できる。

 

 

 つまり、多少ダメなものを含んでいても十分使えるものなのだから、価格で区別をつければいいという考え方だ。

 

 

 食品に例えると、賞味期限まで残り少なくなるごとに毎日価格を下げて売っているとイメージすればいいかもしれない。

 

 

 

 生まれついてダメな部分は誰しもある。

 

 

 本当にダメならとっくにこの世に命なんか無いはずだ。

 

 

 ただ、見た目だけではわからない。

 

 

 ずいぶん前から言っているじゃないか。

 

 

 指摘が間違っている、または的外れなのなら、そもそも気にもならないはずだし、怒るどころか記憶にすら残っていないだろう。

 

 

 そうではないのならそれが答えだ。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年11月23日にnote.comに掲載したものです。

 

 

 

 個人的に好きではないが、インターネットの可能性にいち早く目をつけ、今では星の数ほどあるWebサイトならぬホームページの作成を請け負うことでひと財産築いた人物がいる。

 

 

 いろいろあって目をつけられた結果、ある日突然クリーンなイメージと真反対の世界に送られてしまったわけだ。

 

 

 その世界は、インフルエンサーといえども"昔こういうことがあった人だよね"というイメージが常に付きまとう世界をここでは敢えて指すことにする。

 

 人間は、やってもらった事や、教えてもらった事しか出来ないはずだ。

 

 

 どうしてこの先輩はこうもよく飲みにつれていってくれたり、良くしてくれるのだろうかと、ある日現金を包んだポチ袋をお返しにと渡そうとすると「そう言う事じゃない。」と軽く怒られたことがある。

 

 

 いつかできる後輩に同じことをしてあげてくれ、そう言われたことで自分がいかに未熟で浅はかだということと、かつて同じことを先輩も経験したのだろうなと背景と経験を得るわけだ。

 

 

 あれから十数年経ち、日に日に寒さが増すこの時期に電車に揺られたりなどすると思い出す。

 

 

 恥ずかしくなってつい独り言を言ってしまってなかったかと、ふと我に返って辺りの客車内の様子を窺ったりなんてしてみる。

 

 

 そしていろんな意味でホッとするわけだ。

 

 

 

 後輩がまともにできる間もなく転職することになり、あの約束は果たせなくなってしまって申し訳なかったなと思っていたらば、意外とその時のつながりは切れることなく、たまに声がかかればもう関係なくともお代を出したりする機会をもらっている。

 

 

 それで勘弁してほしい。

 

 

 あとは、どのようにしたら会社に縛られずに生きていくことができるのかと間違いなく尋ねられるのだが、こちらの話が本命だろう。

 

 

 ただただやれることをやり続ければいいと、向き不向きはあるから何かこれだと見つけたらただそれだけをやり続けるほかないよと言うしかない。

 

 

 納得はしてくれないが、わたしにとっては本当にそうだからだ。

 

 

 近道なんて無いが、あの先輩の意図のように何事に対しても背景を汲み取ることができるようになれば、せめて遠回りはせずとも済むだろう。

 

 

 決めつけるのではなくて、仮説を立てる。

 

 

 誰だって美味しい話を好き好んでするわけがない。

 

 

 むしろ、そういう話を公にしない事がカギでもあるからだ。

 

 

 

 さて、一般に投資とはペーパーアセットや不動産のようなものを思い浮かべるが、ベンチャー企業や事業や企画などもそうである。

 

 

 結果的に資産を大きくする計画ならば投資と言えるからだ。

 

 

 因数分解すると、投資とは計画そのものである。

 

 

 

 いずれにしても所詮は人間のやる事だから失敗はつきもので、出資をして欲しい側に立てば、出来ればネガティブな、あるいはリスクに関して話に出したくはない。

 

 

 それは中古品をオークションで売る気持ちに似ている。

 

 

 ちょっとあの部分が外れかけてるんだけど、まだしばらくは使えるから問題ないよなあなんて、長年の持ち主にしかわからないことはなるだけなら言いたくないだろう。

 

 

 それで買取価格に大きく差が出てしまうし、言ってしまったばっかりに今はまだまともに使えはするのに半値になってしまうなんてよくある話だ。

 

 

 しかし、ここで正直に伝えるかどうかでリピーターとなってくれるかが決まってしまう。

 

 

 優しい人なら、もう二度と目の前に現れなくなるだろう。

 

 

 

 どうして優しい人なら二度と目の前に現れなくなるのか、背景をあなたなりに考えてみて欲しい。

 

 

 答えは敢えて言わない。

 

 

 というかもうすでに話をしてある。

 

 

 

 冒頭の成功者だが、事業計画のプレゼンを受ける企画で、出資はして欲しいがその事業計画の詳細は話せないという人物に対し、こういう人間が一番嫌いだと告げた。

 

 

 プレゼンなのに話せないという矛盾もあるが、素晴らしい事業計画ならむしろこの大勢の眼がある中で堂々と披露し、賞賛を浴びたならもう宣伝なんかしなくていい。

 

 

 それが嫌いだと告げて続けた言葉が「むしろここで話した方が良い。」という一言だった。

 

 

 おわかりいただけただろうか。

 

 

 出資を受けたい彼は、せっかく自分が思いついたアイディアを自分より経験も人脈もお金もある人物に取られたくないし、誰にも真似をされたくないという切実な思いだったのかもしれない。

 

 

 それはつまり逆を言えば、誰でも簡単にできる事業だということだ。

 

 

 果たしてそんなものに出資をする価値があるのか話を聞くまでもない。

 

 

 あるかもしれないが、ただただ信用して金だけ出せという半ば強盗のようなやり方にしか見えていない事に気づいていないのが問題だ。

 

 

 ゆえに、これは出資も信頼関係も成立しない。

 

 

 するわけがない。

 

 

 

 さて、前回は媚人こびとの話をしたが、気が向けば調べるという話だった。

 

 

 特に中抜きがいよいよ問題視され始めた現代社会的にその存在が深刻なタイプだと仮説を立てていたからだ。

 

 

 数回前に、不動産で財産と工務店との絆を成し、今ではすっかり自分で不動産を買うのを辞め、数十万の月会費を差し出してでも教えてくれと募る人達の面倒をみるという事業に切り替えた人の話をしたはずだ。

 

 

 立派なビジネスだ。わたしなんか足元にも及ばない。

 

 

 さて、真似をするにしても二十年はかかるこの事業は、出資を募るためにプレゼンをしたあの彼のように公に話をしたところでびくともしない。

 

 

 むしろどうかぜひとも、わたしもお願いしたいと藁にも縋る思いの人も頼ってくるだろう。

 

 

 何が言いたいか、背景はおわかりいただけるだろうか。

 

 

 

 ビジネスをビジネスなんて言う一言でブログや有料記事なんかにする人間は信用できるわけがないという話だ。

 

 

 そのビジネスとやらを具体的に話してみなさいな。

 

 

 むしろ話した方が良いのでは?

 

 

 だから、最初から詐欺師だのバカだの言われるんだよね。

 

 

 一般人にとって害でしかないからだ。

 

 

 

 他者の著作物、漫画を一コマ教訓として記事にしている自称哲学者も他人事と笑っている場合じゃない。

 

 

 そんな人間は今までもいた。

 

 

 引用だから問題ないと?

 

 

 ちょうどいい、哲学者だろう?
こんな背景くらい簡単だろうから読んでもらおうかな。

 

 

 ちなみに数日後消えていて、気づけば美術館が見れるようになっていたから、まあ再現性上、間違いのない話だ。

 

 

 

 陽がすっかり短くなり、早くも冬至が近くなってきた。

 

 

 わたしは庶民でバカだから、いつだって裸の王様を傍から見ている。

 

 

 昼間のやわらかな日差しの中のコーヒーはこの時期にはたまらない。

 

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年11月18日にnote.comに掲載したものです。

 

 

「すみません、少しお尋ねしてもいいですか?」

 

「はい、お待たせしました。
 

少しあちらでお話ししましょうか。」

 

「ああ、では少しお時間をいただけるようお伝え願えますか。」

 

 

「それで、どのような。」

 

「いえ、少しお取引のお話で調べている事がありまして。」

 

「ああ、あの方ですか。」

 

「ええ、このような事情でして。」

 

「なるほど、でしたら構いませんよ。」

 

 

「それで、実際どうなんでしょう。」

 

「いい方だとは思いますよ。」

 

 何か含みがあるな。

 

 

「ああ、あの人ね。」

 

「すみません、特段何かあるわけではないんですが。」

 

「うーん。まあつながりがあって切れない以上は、ねえ。」

 

「まあ悪口というわけではないんでしょうが。言えないですよね。」

 

「まあ正直、鼻にはつくよね。」

 

「ありがとうございました。」

 

 

「個人的には地元ですごいお方だと聞いていますが。」

 

「へえ?誰から聞いたのそんな話。」

 

「あ、そうなんですね。」

 

「あそこのあれでしょ?なんか変な会社が多いよね。」

 

「なんか雰囲気が湿ってるという感じはしてたのですが。」

 

「あんた、上手い事言うねえ。だめだよ、ここだけの話だから。」

 

「ええ、もちろんわかっています。」

 

 

「日本人なんですか?」

 

「だと思うよさすがに。」

 

「華僑とか?」

 

「いや、そんな話聞いたことないなあ。」

 

「そうですか、よかった。知らずに変な事言っちゃうとまずいなあと思って少し出来

る範囲で聴いて回っているんです。」

 

「そうなの、大変ね。」

 

「ええ、いやどうも、ありがとうございます。」

 

「もっときちんとした人紹介しようか?」

 

「あら、いいんですか?
今回はこれで引き揚げようと思います。
年跨いじゃうなあと今更思いまして。」

 

「そういや、今年もあっという間よね。」

 

「関東と違ってこちらの寒さは暖かみがありますね。」

 

「へえ、寒さにもいろいろあるんやね。」

 

「場所によってやっぱり違うもんですよ。
新幹線とか飛行機とか降りてみるとうわあって。」

 

「旅行なんかめったにしないからねえ。」

 

「外国人も多いし、妙な病気うつされても困りますから、案外まだその方が良いかもしれませんよ。」

 

「ほんとねえ、わかんないもんねえ。」

 

 

 鼻について、勘違いしているとこっそり教えてもらった。

 おもしろい。

 

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。

 

※この作品は2025年11月17日にnote.comに掲載したものです。