チャイルド・プレイ123
☆あらすじ
アンディの新しい人形(チャッキー)には、なんと殺人鬼の魂が宿っていた!
アンディは、運悪くチャッキーにその秘密を最初に明かされた人間になってしまったため
チャッキーに付け狙われることになる。
チャイルド・プレイというタイトルとチャッキーのイメージだけが妙に広まっている作品
見る前はすごく怖い作品なのではないかと思っていたが、実際は意外と怖くなかった。
まず、チャッキーについて。
1作目では、まだ人形であることを利用して攻撃してくるので
アンディに味方がいない、いきなり出てくる等の恐ろしさがある。
おそらく当時の技術では人形をそれなりに生きているように動かすのは難しかったのか
チャッキーはあまりバリバリ走ったりしない。表情もあまり変わらない
だが、シリーズが進むにつれて、それこそ生きているように動くようになったため
見てて人形であることを忘れてしまい、怖くなくなった。
チャッキーが怖くなくなった理由は他にもたくさんある。
まず忍者ばりに身体能力が高い。
人間でもそんなに瞬時に移動できないだろ!というくらい神出鬼没。
しかし、あまりにそういうシーンが多いので突っ込んだら負け。
次に、チャッキーは人形だが中身はおっさんという設定がしっかりしすぎ
吹き替えの声が怖さをみじんも感じさせないおっさん声なのはとりあえず置いといて。
チャッキーを追っている刑事の股間を切り裂こうとしたり
人間らしい攻撃が多くて、笑ってしまう。
3のアンディのエロ本見て「大人になったなあ」と言うところなんて
おっさん全開である。
最後に、チャッキーが案外弱いことを挙げたい。
チャッキーは残忍なのだが、結構頭が悪く、アンディに頻繁にしてやられる。
毎回最終的に痛そうな方法でチャッキーが殺されるのだが
すっきりしていいのやら、同情していいのやらわからず
不思議なカタルシスに陥る。
その不思議な感慨こそがこのシリーズの中毒性の原点なのかもしれない。
チャッキーは人形である、と同時に人間である
チャッキーは残忍な殺人鬼である、と同時にお茶目なおっさんである
チャッキーは狡猾である、と同時に間抜けである
よって、
チャッキーが憎らしい。主人公逃げて!逃げて!
と思いながら見続けて、最後に
おおおおお、チャッキー殺された!やったあ!もっとやっちまえ
と、こうなるのだが
でもチャッキーもちょっとかわいそうだなあ。
人形といえども中身は人間になりかけだし(チャッキーの体は時間が経つと人間の体っぽくなる。
ただし、人形の形のままであって、人間そのものにはならない)
という妙な罪悪感もある。
だが、決してチャッキーは良い奴ではない。だからいいのだと自分を納得させられる。
そこに日頃のストレスを解消する効果が現れるのだ。
ホラー映画として出来がいいのは間違いなく1だ
2は人間ドラマの要素が強く、1より繊細なストーリーで別の側面から楽しむことができる。
アンディ少年とカイルの交流シーンだけ切り取って別の映画が作れそうな気すらする。
3は純粋なホラーをすっぱりやめてしまっている印象が強い。
怖かったシーンが思い浮かばないし、ギャグも
1や2に見られる「真面目に作ってるのに何故か笑える」感が弱く、わざとらしい
長々と書いたが
チャッキーがとても魅力的なキャラクターなのは間違いない。
ホラーが苦手な人にもぜひ見てもらいたいシリーズだ