2023年も残りわずかという28日に、父が他界しました。

 

背も低いし(自称167cmだったけど、163cmの柳内より低い)、

決してイケメンでも無かったけど、この人の子供として

生まれてくることが出来てよかったと、今あらためて思います。

 

旅行が好きで、国内外問わず、沢山の場所に連れて行ってくれました。

しかもちょっとニッチで、クロアチアやポルトガルは父が行きたいと

言わなければ、生涯行くこともなかったでしょう。

 

デンマークやオーストリア、チェコなどにも行ったし、

思い出がいっぱいです。

 

国内も色んな所に連れて行ってくれて、覚えてはいるけど

どこだったのか分からない所もいくつか。

 

母に訊けば分かるんでしょうけど、面白いので謎のままに

しておこうと思います。

 

「子供の修学旅行の前に、修学旅行の場所に連れて行く」という

妙な趣味もお持ちだったようで、小学2~5年は日光へ。

そして、小6~中2では京都・奈良へ連続で家族旅行を企画して、

修学旅行の頃には観光地をほぼ網羅しておりました。

 

良いんだか悪いんだか…?

 

音楽もクラシック、演歌、ジャズなどジャンルを問わず聴いてましたし、

美術も好きで沢山の画集もありました。

 

保育園の頃に「読め」と言われて渡されたのが、モディリアーニと

ユトリロの画集って、今考えてみるとシュール。

 

でも、子供の頃に連れて行かれて強烈に印象に残っていた

エゴン・シーレの作品をチェスキークルムロフで観た時は

感慨深かったし、そう考えると、子供の頃に父から与えられたものは

大人になる過程で何一つ無駄になっていませんでした。

 

会社を辞めて役者になると話した時も、

厳しいことは言われましたが反対はされなくて。

 

亡くなった後に父の部屋に行ったら、僕の出演作のチラシ入れがあって。

『テンペスト』と『First Love』、それにソロライブ。
観に来て欲しかったなあ。
 
それが心残りといえば心残りではあります。
 
でも、商業演劇の舞台や、主役で立っている姿、そして歌っている姿も
観てもらうことが出来たので、楽しんではもらえたかなあと。
 
家の中で僕を呼ぶ時も、「おい、名俳優」でしたし。
 
最後に生で観てもらえたのは、一昨年の『カレル・チャペック~水の足音』。
チェコ大好きだった父なので、ラストがこの作品で良かったなと思います◎
 
亡くなってから、父が勤めていた頃のお知り合いの方々から
ご連絡をいただくと、みなさん口を揃えて「気配りがすごくて、
面倒見が本当によかった」と仰っていました。
 
そんなイメージなかったからビックリしましたが、思い返すと
いつも周りを楽しませようと頭名の中で面白いことを考えてて、
それをいつの間にか実行しているような人だったなと。
 
それは、家族に対しても。
 
だから、母も僕も、本当に楽しい時間を過ごせてきたのだなと思います。
 
「父のようになりたいか?」と尋ねられたら、正直「うーん…」と
考えてしまいますが(ヲイ)、でも父と母に育てられて育ったからこそ、
今の柳内があるのだなと、父が亡くなってからあらためて感じて、
これからもこのまま突き進んでいこうじゃないかと思った次第です。
 
あ、あとね、声を誉めていただくことが多い柳内ですが、
ぶっちゃけ父の方がイイ声でした。
 
お父さん、素敵な声帯を授けてくれてありがとね。
 
自分のYouTubeを遡ったら、リハで歌った時の音源が。
『自慢の息子』になれたかは分からないけど、僕にとっては
まさに『自慢の父親』でしたよ、お父さん。

 

 

本人に許可を取っていないので、公開は後姿だけにしときます。