味わい直す日々
今年は色々な感情を味わい直して来たなと思う。
味わい『尽くす』ではなく、味わい『直す』。
過去に起きたことと似たような事がいくつも起きた。
その度に何年も前に体験した時の感情が呼び起こされて
『あの時は、たいそうがっかりしたもんだ…』
と昔ばなし風に思い出し、
でも今回は軽く回避できたなとか、
周りの人と共有出来たなとか、
同じことが何度もじゃなくて、案外その時々で越えてもいるんだけど、嫌だったことが刺さってるんだなーって確認できたり。
苦手分野に関しても、
『とんでもなく時間を奪われた上に、こっちが悪いみたいに言い出す人』
が定期的に出てくるのだけど、今までは自分がぼさーっと聴いてしまい、直感でスパッと答えたりするものだからまんまと依存されたり利用されるんだよと思ってたし、そうした、させた責任がこっちにあるって言われるもんだから、じゃあ最後までお付き合いしましょうかと思って来たんだけど、
『ん?こっちが悪いと言いながら結局答えを求めて来るのはおかしくないか?
自分の言い分だけを一方的に持ち込んで来て、厳しいだの答えないとケチくさいかのように言われるのって相手の問題じゃない?』
と、気づいたり。
そして雑談してる中で、友達は
「自分の仕事としている専門的な内容を教えてと言われたので、何分間まで無料でいいけどそれ以上なら有料だよ」
という風にさらりと伝えたと聞いて、さすがだなーと唸る。
そうなんだよ、ちゃっちゃと済む内容ならいいんだけども、いつまでも長々と自分の聞きたいことだけダラダラとでは困る。
学んだり試したり、試行錯誤して来て今があるんだからな!って部分。
ハンドメイド界もそうなんだけど、たまたま器用とか、たまたま思いついただけじゃなくて、習いに行ったり、本を買ったり、作ってはボツにしたりして元手はかかっている。にも関わらず、
「器用でいいよね、ついでにこれも縫ってくれる?」
とかシレッと頼んでくる人はいて、確かにその人よりも早く縫えるかもしれない、でもそれが出来るようになるまでの時間や投資した金額はガン無視だからねぇ…まぁ私はミシンは苦手なので頼まれもしないのだけど(笑)
そういう自分に出来ない事が出来る相手に対してリスペクトがないのは本当に失礼だし、嫌だねぇとつくづく思う。
リスペクトって言葉は、相談を受けた中でも聞いた言葉。
尊敬でなく、尊重の方。
こちらの今までの経験値に対する尊重は最低限して欲しい。
「出来るんだからいいじゃん」じゃないんだよね、
「人のモチベーションを下げながらモノを頼むなド阿呆が!」
と言う権利、あると思う。
そして昨日も今日も友達となんとなくやりとりしてる中で出てきたフレーズで、そうそうそれも同感!と思ったのは、
『本人がその人でいうマイナス面に心の奥ではメリットを感じてる場合、どれだけ口で変わりたいと言っていても、本気じゃないから変わらないのでは』と。
またそう言う人は『本気じゃないでしょ』とか、『変わりたくないんだからそのままの自分を認めて大切にした方が良いのでは』とかいう言葉では納得しないし、突き放してる訳じゃなくて事実だってところも伝わらない。難しいね。
HSP疑惑については今までも散々語って来たのだけど、結局のところHSPかどうかは別として、人の話しを聴くときに
『共感と洞察を同時に発動してるよね?』
って。
そしてさらには、相手の顔色を含めた空気感、本音の声なんかを敏感に感じ取ってもいるから、これってただのスピ体質なんじゃない?って思ったり…。
『ただの』ってのもどうなのって思うけども、HSPとして知り合って友達になった中にも、ものすごく多い気がする。
HSPのなんたるやを知って、『なんだ、そうかこれか…』と落ち着いてみたら、落ち着かない人たちが居る。
『なんで?HSPだった!そうかじゃあこれを活かせばいいじゃん!てならないの?』
と思うけど、発達性トラウマが関わっているといわれ、
『トラウマかーじゃあそこを癒やせばいいじゃん…』
と思っても、癒えた気になってはいるけど言い回しとか、言い訳ぐせとかが抜けなくて、抜けてない自覚が全くないものだから、
『まだそれ言うー?』
と言われてまた傷を深くしていたり。
自分で自分が分からない。
これが本音だと思ったのに…と迷うなら誰かに話してみたらいいのになーと思う。
最初は共感されて安堵するところからでも、そこからまた深めて行くのは性質的にも得意だと思うのだけども…。
友達でダメならプロにお願いする方がよっぽど気楽で安心かもね。
アタシはアタシなのだ!
この前ちょっと面白かったの。
雑談の中で『架空の相談に答える』という場面があったのね、
その設定に対して、あなたはどう答える?っていうもの。
かなり具体的な設定だったので、経験値からはサラサラっと言葉は出るのだけど、
『…という感じの答えで、いいかな?』
と確認してる自分がいて、でも架空の相談だから何も視えなくて、
『あ、そうか、これが普通か!』
ってすごーくびっくりした。
人に『こうなんじゃないかな』と状況を伝える時、普段は映像みたいに状況が視えて、『これは?』と思ったらカードを引いてみたりして再確認してから伝えてた。
ダブルチェックしてるじゃん、案外ちゃんとしてんなぁアタシ!
とまたしても自分を褒めたワケだけど、視えなくても直感での答えとカードでイケると思うので、なるほど占い師さんでスピでない人も仕事としてやってるってこういうことねと思ったり。
普段から聴こえる視えるのが当たり前なので、それをまた普通に話せる場があるとすごく気がラク。
特別視することもなく、それが私の当たり前だから隠すことも、否定する必要もないなと思う。
今までも何か面倒なことになりそうだぞと思ったら
「いうほど視えてないよ」
とか、周りが怯えたり引いたりしない程度に話してたけども、あーもー面倒くせぇ!と思ったりもする。
世の中、不思議なことなんて山ほどあるし、それがあったら何なんだってところ。
自分にとってハッピーな方へ使えるならそれでいいと思うし、無駄に崇拝することでも一目置くことでもない。
私はその手の話しが始まると面白ーいと思って聴いてる。
『事実なのか? こいつ何言ってんだ』というより、その人がそう視えてるならそうなんだなって。
私には違って視えるなら、持ってるものが違うというか、イメージの違いかなと思うし。
とにかくもー色々しょうがないんだよ。
分かっちゃうもんは分かっちゃうし、ぜーんぜん気にしないこともある。
『常に視てる訳じゃねーよ!』とイラっとしたり、
『そこは視えてんだよ!』とか、もう面倒臭くなっちゃった。
私のフツーはこいう感じってだけのこと。
私は私を諦め、認め、励まして、やさぐれつつも大切に共に生きて来たのでこれでいいじゃんと思った。
…のは、つい最近だけどね。
また取り止めもなく書いちゃったけど、私のアタマの中ってこんな感じ。
あれは?これは?とか、ふむふむとか、全然辛くないのよね。
むしろ想いを巡らせ考えることが趣味!
逆に思考を奪われるような状況の方が耐えられない!
暑い日は涼しいところで、寒い日は暖かいところで、ずーーーーっと色々と考えているのが幸せ(笑)
なんとなーく思うことをつらつら書いてるので、後からブログを読んだ人の感想を聞いてびっくりするなんてこともある。
「何度もつまらない相談しちゃってすみません!」とか、「私もいちいち聞いちゃってましたね」とか。
いや、即答で答えて平気なことも多々あるし、この内容を1時間枠で話すほどじゃないよねって思えばその場で済ませる訳だし…。
こう言う甘さが勘違いさせる人を生む場合もあるんだけれどもねー!
反省しなくていい人が反省してたりするので、
「あーごめんごめん、あれは全然平気なヤツーーー!反省しないでー」とか。
簡単に答えられることと、そうでない事の境を知ってるのは私だけなのよね、私の力量を知ってるというか、限度というか。
なので謎に思ったら言ってくれれば、それは別口で!とか、スパッと言えるよう努力しようと思う。
今後は相談事をお申し込み頂く際にご一報ください。
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では、
またね!