杉浦定期能〜松井美樹師の班女は高みに行った先の課題へと。 | この辺りの見所の者

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2024/6/15

京都岡崎 京都観世会館

杉浦定期能


能〈班女〉

シテ/松井美樹

ワキ/有松遼一

ワキツレ/原 隆

アイ/茂山千三郎

笛/野口 亮

小鼓/林 大和

大鼓/石井景之

地頭・杉浦豊彦

地謡/河村晴道、片山信吾、宮本茂樹(後列)

大江広祐、河村浩太郎、樹下千慧、出本勝範

後見/大江又三郎、鷲尾世志子



杉浦定期能が始まる前の能のお話は杉浦豊彦師。班女のシテを勤める松井美樹師は、豊彦師の父の故杉浦元三郎師の最後の玄人弟子で、班女は元三郎師が大好きだった曲だったと思い出を語る。

杉浦元三郎師は、故関根祥雪(祥六)師と観世宗家内弟子の同期で祥雪師が関寺小町を舞ったときに地頭を勤めた。シテでは2008年の国立能楽堂定例公演で花筐を舞って、両方とも観能出来た。花筐の淡い品のあるモノクロの舞台が印象に残っている。



ダシオキでアイの茂山千三郎師が登場。この狂言役者も故五世茂山千作師、人間国宝の茂山七五三師の弟である。2020年に茂山千五郎家を離れて現在はフリーの狂言役者。

班女の位取を千三郎師が取り、舞台は濃厚な空間となる。


前シテの幕離れ。揚幕の向こう側から狂言〈花子〉の夫の逢引後の夢見心地での幕離れを思い出していた。班女の前シテも花子であり、吉田少将への恋慕が、やや陰翳ある身体の気を醸し出しており、面も上の空感が出ている。ハコビにも工夫が見られた。面は上の空でハコビはやや重め。シテの花子が尋常では無い事が身体の気と面遣いとハコビで見事に表現されている。曲の違いもあるので一概には言えないが、松井美樹師の舞台の幕離れでは個人的に白眉だと言えるものだ。

去年の山姥から表現の内省的な深みを感じていたが、更に深化。


前シテが中入して、後場の一声のの囃子。おそらく狂女の越シ付き。後シテの幕離れも良い。

一セイの謡は調子を高く。この調子を上げた一セイの謡に、やや違和感。その違和感はかなり前に同じ女性能役者の鵜澤久師の大原御幸を観能した時と同じものだ。


女性能役者が能を舞う時に一番大変だと思うのは謡の調子。特に高い調子の時だと思っている。

当時の鵜澤久師の謡は高い調子に上がると女性の生々しい声になってしまい、その時に能の舞台空間から何回も現実に引き戻された経験がある。謡ではなく女性の声になってしまうのだ。


*去年12月の銕仙会定期観能記から引用↓(自分の観能記)




松井美樹師は、身体の線の確かさに密度の変化は素晴らしい。物狂いのカケリを足のハコビの緩急で表現しており、型に関しては当時の鵜澤久師に迫る勢いに思えた。カケリ後の謡はやや調子が落ち着いたのか、自分が感じる違和感は無くなった。イロエからの中之舞も品のある物狂いである。シオリもベタベタしていないのは品があるからだ。中之舞後のやや高い調子の謡になったときに、また少し違和感を感じた。


松井美樹師は元々声量がある方ではない。高い調子の謡に試行錯誤しているものと思われる。今回の班女が以前よりも謡に違和感を感じたのは、型の深化に高い調子の謡が追いついていないからではないだろうか。型の引き寄せる密度の奥行に対して、高い調子の謡がまだ奥行が足りない。ベタっとしており芯が欠けているように思えた。


去年、久しぶりに鵜澤久師の〈藤戸〉を観能した。高い調子の謡に当時感じた女性の生々しい声を感じる事は一切無く、謡として聴く事が出来た。


*観能記から引用↓





松井美樹師も、先はまだまだだろうけど、鵜澤久師みたいな謡に到達する事は不可能では無いし期待したい。


ワキの有松遼一師の吉田少将とのやり取りも良い。濃厚な空間になっていた。囃子も好演。小鼓の林 大和師も鼓の鳴りも上々で一皮向けた感。大鼓の石井景之師は石井保彦師から改名していたのだな。舞台上の姿を拝見するまで、誰?と思ってしまった。以前よりも大鼓の打ち方が変わったのだろうか?より強い音色の大鼓に感じた。

杉浦豊彦師地頭の地謡も、品のある淡い水墨の様な線で舞台を彩っており、やはり地謡のイロから豊彦師の父、故杉浦元三郎師のイロを思いださせてくれた。


藝は一段上がっても、また課題にぶつかるものなのかもしれない。鵜澤久師を引き合いに出すくらいに松井美樹師の藝が上がってきたのは確実に言える。女性能役者の高い調子の謡は高いハードルだけど、松井美樹師は超えてくれると信じている。