林宗一郎師の能劇と云う挑戦は、生も配信も共に | この辺りの見所の者

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能楽観世流シテ方 林宗一郎師。京都観世の名門、林 喜右衛門家の若き当主。推しの能役者の1人でもある。



宗一郎師のライフワークに、有斐斎弘道館で開催される『能あそび』。オンライン配信もされており、座敷で少人数の見所でテーマを毎回決めて開催されている。


この4月9日の「能あそび」は林宗一郎師の挑戦でもあり実験的な公演となった。


『能あそび屋島 那須語』と銘打って、『能劇』と云う公演スタイルを開始する。


つまりは、能のシテ、ワキ、アイ、地謡で、すべて袴姿で装束を付けないで曲の最初から最後まで舞うというものだ。実は、この形態はあるよう見えて無い。能のシテと地謡と囃子で曲の最初から最後まで奏するのは番囃子、袴姿で舞う形態は袴能があるが、能劇には囃子が無い。つまり、謡と所作だけをシテ、ワキ、アイ、地謡でやる。


▽『能あそび 屋島 那須語』

シテ/林宗一郎

シテツレ/樹下千慧

ワキ/有松遼一

アイ/茂山逸平

地謡/松野浩行、河村和晃、河村紀仁


オンライン配信を見て。


カメラは最低でも3台はあるのかな。正面の定点カメラ、ワキの視点カメラ、能楽堂でいう揚幕側カメラ。


座敷での謡と所作だけの『能劇』と云う林宗一郎師命名の造語。この配信を見て、能楽配信の画角に革命を起こしたかもしれない。それが可能になったのは座敷だったというのもあるかもしれない。

ワキ視点カメラは、ワキと共にシテに対峙している錯覚を見舞わせられる。その視点からのシテは後ろの障子に影となり映り込む。これも計算していた様に感じる。そう、オンラインでは舞台の外でなく、ワキと共に舞台にいるのだ。曲の場面で、正面定点とワキ視点に所々スイッチングされるが、座敷だとよりシテとの距離感が近く感じ更にシテの気の濃厚な圧も画面越しながら感じる。

映像としての能として魅力的だと正直に告白せざるを得ない。謡の迫力も囃子アリよりもダイレクトに伝わってくる。


林宗一郎師は、『能劇』について批判も覚悟していると言った。けれども、能に対して常に挑戦しなければならないとも言った。それは能に対する危機感から来るものであろう。能の枠内で出来る限りの実験をする覚悟も感じた。その覚悟が出来るのは、能界でも選ばれた人にしか出来ない。名家の若き当主というのも、選ばれた人である。その立ち位置を能界のためなら、大いに利用したら良い、かつての故 観世寿夫師のように。


『能劇』はオンラインには有効である。生で観た時には、どう感じるのだろうか。

もちろん、シテ、シテツレ、ワキ、アイ、地謡と濃厚な藝を見せてもらった。アイは、通常の舞台と『能劇』でも那須語は変わらず、重厚なもの。生でも茂山逸平師の那須語は幾度も観ているが、やはり良い。個人的に当代の那須語では、茂山逸平師の那須語が1番好みである。林宗一郎師の屋島も前と後での身体の線の違いがワキ視点カメラからの姿と影でわかった。座敷ど能装束を付けた舞台も過去に観た事はあるが、座敷なら『能劇』の形態の方が、オンラインではしっくりくる。生では、また違うのかもしれないが。


ともかく、オンライン配信での『能劇』ではワキ視点カメラに尽きる。あそこからの情景を知り感じると、通常の観能にも刺激を与えてくれるのは間違いない。


次の『能劇』は6月との事。オンライン配信でもいいけれども、生で観たい願望も芽生えてきてしまった。