三川 泉師の思い出 | この辺りの見所の者

この辺りの見所の者

気ままなブログです。

日付は昨日になります。
能楽シテ方宝生流 人間国宝  三川 泉師が13日に逝去されました。享年94

個人的になりますが、故 松本恵雄師に匹敵するくらいのショックです。

三川 泉師の能に初めて触れたのは、1997年 、青山の銕仙会能楽研修所での三川泉の会〈籠太鼓(ろうたいこ)〉でした。

三川泉師の観能は、曲順はアイウエオ順。
〈井筒 2008〉〈姨捨 2001〉〈杜若 二番〉〈葛城 2006〉〈鉄輪 〉〈砧1998〉〈清経 音取(藤田大五郎)〉〈黒塚 2005〉〈胡蝶 2010〉〈西行桜 2006〉〈鷺 二番〉〈猩々乱 2006〉〈隅田川〉〈西王母〉〈蝉丸  ツレ喜美雄〉〈忠度 2007〉〈鶴亀(舞囃子)〉〈天鼓 呼出〉〈東北 1998他一番〉〈羽衣 盤渉(地頭 松本恵雄)〉〈半蔀 2006  他二番〉〈芭蕉〉〈百万〉〈巻絹イロエ2006〉〈枕慈童〉〈三山2005〉〈三輪〉〈遊行柳2007〉〈楊貴妃 玉簾 1998〉〈弱法師〉〈籠太鼓1997〉

今、わかる範囲での三川泉師の観能数です。

やはり、鬘物が絶品の藝でした。曲ごとの香りが舞台にさりげなく漂う藝。
鬘物だけではなく、執心物や物狂物も良くで、砧、百万、鉄輪も直ぐに脳内再生出来ます。

姨捨は、月が雲に隠れたり現れたりするような夜空。キリは石のように固まったシテの老女が風により消えていくというものでした。
井筒は、晩年で所々疵がありましたが、黄金の気の充満していました。
百万は、ハコビの緩急で物狂女を表現。
芭蕉は、暗闇のなかに眼をすぼめると見える芭蕉の葉。
囃子付で最後に観た舞囃子の鶴亀は、鶴亀の皇帝と軽みの曲の位取の見事さ。
半蔀の透明な淡い光と香り。
鉄輪の執心は、気が立ち込めるように、めらめらと燃え上がっていました。

晩年になって身体が効かなくなる場面を見ることは多くなりましたが、存在での位取と謡が衰えることはありませんでした。

自分にとっての宝生流は、いったんこれで終わった気がします。
それくらいショックです。
どんな事があっても観に行くんだと思わせた最後の能役者でした。

今は天国の方が良い舞台が観れそうで、自分も、そちらに行きたいくらいですが、もう少し先にさせてください。

松本恵雄師によって能に引き込まれて、三川泉師によって観能感覚を育てて貰いました。
もう、素直に首を垂れて舞台から教わる能役者がいなくなりました。


合掌