藍染川を観て! | この辺りの見所の者

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第六回西村同門会研究能が、名古屋能楽堂で行なわれました。

能楽には、ワキ方という役割があります。シテ(主役)の相手を務める役がほとんどです。
ワキ方は、現在は三つの流儀があります。関東を中心とするワキ方宝生流。関西を中心とするワキ方福王流。そして東海を中心とするワキ方高安流があります。
高安流という流儀は、明治に入って宗家が途絶えました。昭和初期に入って再興されましたが、その時宗家についたのが、現十四世高安流宗家、高安勝久師の父君の十三世高安滋郎師が、西村家から宗家になりました。それに伴い、弟の西村欣也師が西村家を継ぎました。

西村家というのは、1690年から今に到るまでワキのの芸を継いできた家です。

西村同門会研究能は、滅多に掛からない曲を上演する事をモットーとしています。

今回の上演曲は、4・5番目物の『藍染川』自分も初見になります。京の都で
太宰府の神主(ワキ)が、愛人(シテ)の間に子供をもうけます。その親子が太宰府を訪ねる所から話は始まります。

ダシオキで、ワキツレの左近尉の原大師が幕出。この時点で曲の位は高めだなと認識する。ワキツレが舞台に入り地謡座の前に下居して、次第の囃子が始まります。結構じっくりとしたテンポで囃し、子方の金春嘉織師。シテの本田光洋師が幕出。子方が一の松、シテが三の松で向かいあって、次第の謡。抑えた調子のシテは続くサシ謡、下哥、道行など暗いトーンのイロで謡が続く。この後の悲劇が予想されるかのようだ。

道行の後、シテと子方は舞台の中へ。
そこでワキツレの左近尉の所で宿をとります。

シテは、ワキへの文を左近尉に託します。しかし、ワキは留守で、その妻(間、今枝郁雄師)に文を渡してしまいます。舞台は橋掛りで進行します。
文を盗み見した妻は激怒して、もう会わないという偽の文を左近尉に渡します。
左近尉から文を受けとったシテは文を読みショックを受け、太宰府の前を流れる藍染川に入水してしまう。

ここに到るまでは、シテの謡のトーンと地謡(地頭、金春安明師)のイロあいの塩梅が秀悦で憂いの表現が舞台にどぎつくない空間としつつ拡がりを見せている。
感情丸出しではなくしっとりとしたなかでシテは入水する。
シテは、ここで幕入りする。
幕出の時の曲見(しゃくみ)の面は、ふくよかさがあったが、入水後の幕入りの時の面は、痩女の面のような死相が出ていた。

実は、藍染川は、常の演出では、後半に、天神が現れ母親は救われるという筋書きだが、今回は、追善留という小書がつくため、前半のみとなり、シテは出てこない。

ワキの神主が幕出する。烏帽子に白の狩衣姿で現れる。伊勢神宮の神主さんたちの装束に近い。

ここからは、ワキが主役になる。
舞台の正先に置かれた、シテの亡骸を表現した小袖を抱きしめたりする場面など悲しみ憂うシーンがあり、なかなか見せ場となっている。

ワキは、亡骸に向かい合掌しつ追善の儀を行ない、終曲。

常のハッピーエンドの終わり方では無く、悲しみの余韻のまま終わる追善留の小書は、誰が考え出したのだろう。

エンドでなく、フインからは、生き残った愛人の子供も行く末が明るくはないように思えてしまったのは自分だけだろうか!



最後に西村家の祖先は、菅原道真だそうです。


注!ワキ方の説明は、事前の解説での村瀬和子さんのを引用しました。

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