ダイヤモンド=存在そのもの、命

 

頭悪い、考える力が低い、要領悪い、気が利かない、怠ける、時間管理が下手、お金の管理が下手、方向音痴、右・左が分からない、共感力が低い、話がつまらない、話下手、聞き下手など・・・=能力

 

存在と能力は言葉が違う

 

言葉が違うから、同じものではない

 

つまり、存在と能力は同等ではない

 

能力が高い=存在が濃い←間違い、勘違い

 

(存在が濃い・・・?)

 

存在=存在 でしかない

 

能力=出来ること、出来ないこと でしかない

 

 

ダイヤ値高いなら、能力がも高い←勘違い

 

 

私の母(母と祖母)は、人間としての能力が低かった。

 

特に私を育てた祖母は、考える力が低かった。

 

母は六歳のころ死んだので、実績がないからよくわからないけど、母の母(祖母)が考える力が弱い人だったので、母も考える力は低かっただろう。

 

母と結婚した父も、やはり考える力が弱い人なので、やっぱり母も、考える力が弱かったであろう。

 

 

去年から、度々、能力が低い親の子供に産まれてきたことにキレてきた。

 

遺影に向かって泣いたり

 

お墓の前で二時間くらい話しかけたり

 

祖母に昔の恨みを言ってみたり

 

父にお金をせびったりもした。

 

 

そのおかげか、今は

「母も祖母も、母と結婚した父も、人の心を育てられるほどの力は無かったんだなぁ」

「本当に精一杯やってきて、それでも、自分の子供の心を育てられなかったんだなぁ」

「そもそも、祖母か母か父が、考える力があるまともな人(まダイヤ)だったら、私は非ダイヤになってないんだもんなぁ」

と落ち着いて考えられるようになってきた。

 

 

祖母は、人間力の低いダイヤモンド

 

母も、人間力の低いダイヤモンド

 

父も、人間力の低いダイヤモンド

 

私も、人間力の低いダイヤモンド

 

 

深い、母親理論・・・・

 

うまくまだまとめられない