私は、あやこ32才です。
32才までが名前なので、
来年も再来年も32才です。
息子3人います。
小学4年生、2年生、年長さん。
平成1桁ババアの日々を書きます。
それではどーぞ🥳
もう募集してないけど、マリコ先生のライティング講座を受けたんです。
マリコ先生ってこの人です。
私は、あやこ32才です。
32才までが名前なので、
来年も再来年も32才です。
息子3人います。
小学4年生、2年生、年長さん。
平成1桁ババアの日々を書きます。
それではどーぞ🥳
もう募集してないけど、マリコ先生のライティング講座を受けたんです。
マリコ先生ってこの人です。
今朝、ふと、納得したことがある。
地域や保育園で行っている子育て支援の取り組みとして縁側カフェがある。
私の近所にもあった。
でも、私は、そこに行けなかった。
断られたからではない。
私が行くのを拒んだからだ。
私の子育ては孤独だった。
その理由が、縁側カフェに行けない理由と一緒であることに、今朝、気付いたのだ。
縁側カフェに一度だけ、お邪魔したことがある。
そこでは、私以外のママさんたちが、楽しそうにお喋りをしていた。
私はそれをみて「私は仲間にいれて貰えないな」と思った。
「私なんかとは、誰とも仲良くして貰えないな」
「意地悪されたら嫌だな」
「仲良くして貰うために、頑張らないと」
「子育てで疲れてるのに、さらに疲れなきゃダメなのか」
楽しそうに話す人を見て、ここまで考え、
そして、ドッと疲れたことをまだ覚えている。
縁側カフェの案内をしてくれている施設の方の顔をみながら、愛想笑いをしつつ、
「じゃあ、子どもと2人きりでいいや」
と、地域との繋がりを心で絶ちきったのは私だった。
私は、自分から孤独になる選択をしていたのだった。
だから、私の子育ては孤独だったのだ。
自分が拒否されるのが怖くて、
孤独に堪え忍ぶ方を選んだのだ。
私が嫌われやすいから孤独なんじゃなくて、
私がつまらないから孤独なんじゃなくて、
「私はどうせ拒否される」「そのままの私じゃ好かれない」という前提が、
拒否をされるという架空の恐怖を作り、
人と繋がることを拒否していた。
子育てする前も、そういう生き方だった。
子育てで孤独になったんじゃない。
前から孤独だった女が、自分の人生から逃げる方法として、たまたま、子育てを選んだだけだった。
そりゃー。大変なわけだ。辛いわけだ。楽しくないわけだ。
私と同じ状況なら誰でもそうなる。
という、今朝からとても、腑に落ちた話。
出来ることを増やそうと思って、
最近の私は仕事の引き継ぎを頑張っていた。
役に立てるようにしよう、
分からないストレスを減らそう、
自分の万能感を楽しもう、
そんな気持ちだった。
と、同時に、引き継ぎ中、イライラしていた。
なんでもっと早く引き継ぎ進めないんだよ。
なんでもっと早めに引き継ぎしなかったんだよ。
もっと危機感持てよ。
なんでこんな効率悪いやり方してんだよ。
ちゃんとしろ。
ちゃんとしろ。
ちゃんとしろ。
イライラする度に、嫌な気持ちになった。
このイライラが相手に伝わっていたら、失礼だし、申し訳ないと思った。
イライラする度に、相手を嫌な人に仕立て上げた。
相手が悪いんだ、相手が変われば良いんだと思った。
私の向上心は素晴らしいんだと思った。
でも。やっぱり、私は、イライラしてると楽しくない。
同じ職場で働く相手を無理やり悪者にしたって。
そんなの、私は、楽しくない。
今もやっぱりイライラはする。
相手を悪者にして、話を終わらせたくなる。
とても攻撃したくなる。
私は、この感情を、「レベルの高い向上心」「シゴデキゆえの悩み」という耳障りの良い言葉で正当化していた。
(自分で書いていてとても恥ずかしい。)
向上心は悪くない。
正当化しているから、歪むのだ。
素直に言おう。
私は、引き継ぎのテンポがずれると、イライラして、相手の悪口を言いたくなるのだ。
私は、効率の悪いやり方を見ると、無性に腹が立つのだ。私の時間を奪うな!と。被害妄想で腹が立つのだ。
それでも、新しい仕事を覚えるのは楽しい。
出来ることが増えるのは楽しい。
これからも、イライラしながら楽しみながら、仕事を続けたい。
しかし、向上心等という言葉でイライラを正当化して相手を攻撃する理由にするのは、辞めていきたい。
楽しくないから。
私は頑張る私が好きだ。
主に仕事を頑張る私が好きだ。
仕事が好きだ。
数字がはっきりしていて、
ルールがあって、
誰かが決めたゴールに向かって処理を進めれば
評価がお金になって返ってくる。
仕事が好きだ。
自分の存在承認される。
「ゴリラさん、たくさん頑張っているね」と。
その言葉を、飴玉のように、何度も頭ん中で転がして、束の間の安心感を受け取る。
頑張る私が好きだ。
頑張る私が好きだけど、頑張らない私は同じくらい好きだろか?
例えば、仕事で、全然頑張れなくなったら、私は私を好きでいれるだろうか。
私は、仕事中、「あいつ、全然仕事しねぇじゃん。ウザ。早くどっか異動すればいいのに。」と思っている。
そして、「あいつ、仕事しないから、バカにしてもいいよな 」と思っている。
だから、もし、私が仕事を頑張れなくなったら、私の言葉は私自身に刺さることになる。
仕事しない人がうざいのは、正直、自然な感情だと思う。
だって、その人の分の仕事は、誰かが負わなければならないのだ。
しかも、賃金が発生する状況で(自分の労働力を対価にしている)
労働力を差し出さずに、賃金を受け取る人がいることに不満を感じるのは自然。
でも、私の脳内の言葉は、仕事をしない人はバカにしていいとなっている。
その人の存在にまで言及している。
私はその人にとって同じ会社の人間でしかないのに。
私にとって利益になるかならないかで、存在を尊重するかしないかまで決めている。
だから、私の価値観は、機能価値に囚われて、自由度が低く、窮屈で狭苦しい。
辞める方法は3つあると思う。
・必ずバカにすることを徹底して行って、飽きること。
・徹底的に自分を論破して、存在を否定できる絶対的な根拠などないことをド理解すること。
・自分が「できない側」の経験をすること。(新しい趣味を初めて初心者として挫折を味わう。上には上がいて、その人と比べれば自分なぞ未熟であることを知る。など)
頑張る私が好きって言葉は、まるで自己肯定感の言葉に聞こえるが、
条件付きでしか自分を承認できない呪縛の言葉だった。
私が深夜まで残業してしまうのは、自分を承認できる環境に依存しているから。
新しい毛布を買った。
とても気持ちがいい。
ふわふわで柔らかで温かい。
でも、シングルサイズなので、こどもと一緒には眠れない。
三男は私と一緒の毛布に入りたがるが、暑がりでもあるので、高確率で毛布をはがされる。
今年の冬はうまく眠れず体調を崩したので、大きな布団を探していた。
しかし、私が買ったのは、シングルサイズだ。
西川の毛布である。
ワゴンセールに半額で出されていた。
隣にダブルサイズのプライベートブランドの毛布が売られていたが、私は、西川のブランドに惹かれ、シングルサイズの毛布を選んだ。
とても気持ちがいい。
しかし、気持ちがいいのは私だけで、息子が入れば狭すぎる。
新品の毛布にくるまりながら、私は考えた。
「私ひとりが気持ちよくなることに何の意味があるんだろうか」と。
「意味がないことに価値はなく、価値がないことをするのは無駄なんじゃないだろうか」と。
うすら怖くなったのだ。
母として、意味があるのは、価値があるのは、例え品質が良くなくても、こどもと一緒に入れる大きな毛布を選ぶことではないだろうか。
私の頭によぎった考えでは、意味があれば価値があり、それは実行するべきことになる。
意味が無ければ、価値がなく、それは実行すべきことではなくなる。
なにをもって意味をなすのかと考えたとき、私は、母として自分の行動をなぞらえたときに、母にふさわしい行動と他者に胸を誇れるかどうか、他者から承認されるかどうか、が最初に浮かんだ。
価値とは何かと考えたとき、自分以外の人も幸せになるかどうか、社会の幸せの総量が増えるかどうか、と浮かんだ。
つまり、他人からどう思われるか、他人にどれくらいプラスの影響を与えられるかで自分の行動指針を決めていたのだ。
意味があることと、価値があることは、必ず同じではないと思う。
むしろ、同じであることの方が少ないだろう。
私は今、髪の毛を青と緑に染めている。
染めたことに意味はない。私に似合うから染めたのだ。また、黒髪よりも管理が楽なのである。メイクを明るくしなくても、髪色で明るい印象になるからだ。
価値もない。私が髪の毛を染めても、私が鏡を見るたびにちょっとだけご機嫌になるだけで。
でも、私の髪の毛は青と緑だ。意味も、価値もないが。
それは現実にある。
なぜなら、私の髪の毛を染める染料を開発した会社や技術者、営業マン、製造者がいて、
美容師がカラーを施し、
私に給料を払う会社・組織が存在し、
給料から料金を支払ったからだ。
意味も価値もないことは実行しない方がいいのであれば、なぜ実行できる要素がここまで揃うのか。
それは、意味や価値がなくても「そんなの関係なく、やりたかったらやってみればいいから」である。
こども時代の誤学習が原因である。
母親から褒められることをすれば、承認してもえて、
褒められないこどもであれば、承認してもらえない環境だったからである。
(思い返せば、いい子であっても、親の機嫌が悪かったり、精神的に余裕のない時は構ってもらえなかった。結局、私の行動なぞ、同級生と同じであれば問題ない程度の関心しかなかったということだ。私の親もまた、世間からの承認に縛られていた被害者の一人でもある。)
私が一人で西川の毛布にくるまって、
肌触りの良さをかみしめることは、過去の呪縛をとき、
過去を再解釈させるきっかけになるに違いない。
↑意味もなく価値もないけど、爆発的に面白かった(⌒∇⌒)
先週から、こどものインフルエンザでほぼ休んでいる。
そして、看病している夜というのは眠れないもんで、昼間も眠い。
あまりに眠すぎて、ソファーで変な姿勢で寝るので、頭も体も痛くて、余計に疲れる。
それでも、仕事の休みの連絡はしなきゃいけないもんで上司にLINEで連絡をした。
上司から、
私はいつでもゴリラさんを応援してます🙆
と返ってきた。
それを、次男を学校に迎えに行き、
歩きながら読んでいたもんだから、
私はいつでもゴリラさんの味方です🙆
と誤読した。
誤読した脳は、さらにそこから被害妄想を発展させた。
味方…ってことは、
敵認定してる人もいる…ってこと?(|||´Д`)
えー(|||´Д`)
なにそれー(|||´Д`)
誰だろ…うわー…○○さんと○○さんと○○さんと○○さんかな…あ、○○さんもか。
うわー…上司さん、私のことで、なんか不満とか言われたのかな…(|||´Д`)
うーん、モヤモヤ😵💫😵💫😵💫😵💫
やることないから、ノートとペンで整理しよ…と思って。
もう一度、LINE開いて。
もう一度、上司のメッセージを読んだら。
味方なんて、一言も書いてない😂😂😂
ぎゃびーーーーーん😂😂😂wwwww
脳ミソアホすぎる😂😂😂
そこから、少し冷静になって、思考を整理。
100万歩譲って、
こどもの体調不良で仕事を休んだからといって、私を敵認定する人がいたとしても。
(実際、職場にそんな人はいないんだけど)
それはその人の自由だし権利でしかない。
その人を不快にさせない義務は私にはない。
と思えてきた。
前なら、仕事を休んだ(役に立たない)うえに、
誰かに嫌われたら、不安でザワザワが止まらなくて、こどもに八つ当たりしてたけど。
少しだけ成長した気がする。
自分の手の届く範囲の中で、
私は好かれていたいし、
楽しく生きていきたい。
職場の人がどうでもいいって訳じゃないけど、
出自の差異からくる価値観のズレを理解しあおうとする努力をどこまで割くか、
それを決めておくのは自然なことかもしれない。