私が産まれてきた意味って無い。
私が産まれてきた目的って無い。
この言葉を、ずっと絶望として感じてた。
絶望。
意味がないなら、私はいない方がいいんだって。
そう思ってた。
それに、自然に選ぶままに任せれば、人生それなりに幸せになるものと思ってた。
お金も。
結婚も。
仕事も。
こどもも。
勝手にうまく行くって思ってた。
そのための義務教育だと思ってた。
32年間生きてきて、ふたを開けてみたら、楽しくない人生だ。生きづらい人生だ。
そうなるほかなかった。
なぜなら、私の親は私を上手に愛せなかったから。脳が「私は役に立たないと、親が喜ばない」「役に立たないと安全な環境にいられない」と語学習したのだ。
そして、それをカバーできるほどの人生経験がなかった。
今日、夜中に寒くて目が覚めて、
それで、初めて淡々と「私も含めて人間は産まれてきただけで、目的も意味もない。」7「だから、自由なんだ。」と思えた。
心が弱い時は、自由って困り者だ。取り扱いかたが分からない。
だけど、だんだん分かってきた。
自由だから、こどもをうまく愛せない親もいるし、それが連鎖するし、そこから抜け出すことも出来る。
役に立たなくても、
コミュニケーション下手でも、
こどもがいなくても、
結婚しなくても、
それでも存在できるんだ。
うまく言えないけど、コントロール不能のカオスのなかで、結果がポコポコ吐き出されて、
その結果が別な結果と結び付いて、
また別な結果を産み出す。
それが、秒単位で起きてるだけなんだ。
その結果の一部が、
私が産まれてきたこと、
なだけであって、
私は目的や意味を果たすために産まれてきたんじゃない。
私は、意味や目的のために産まれてきたんじゃない。

