京都、龍安寺、石庭と反対にある茶室に入る前にある手水(ちょうず)を張っておく石がある。

それは、円筒形の筒の部分を四角くり抜き上から見て、四角の周りに、4文字刻まれていて、その4文字に口を加えると、吾唯知足になる。つまり、くり抜かれた空洞が口の字を表していることになる。

口の字が足らないなあと思っていて、目を凝らしてみれば、あるじゃないか、と気がついて、おおっと、なる。

龍安寺の石庭15個の石は、どの角度から見ても1個見えないように配置されていて、14個しか一度に見ることができないらしい。

そのことから「常に足りている心だけがあれば十分であり、物質的な充足を過度に求めない」と戒めの意味が込められていると言われている。

私は凡人だから、あるものだけで満足しなさいと言われても、無い物ねだりで悩んでしまうから、無駄な努力はやめる。そのかわり、その無い物は、実は形を変えて、そばにあるに違いないから、何に変身しているか思いを馳せてみようと思う。

求めようとしているものが、はっきりしていれば、口の字のように、刻まれる替わりに、空洞の四角で口を表していることが、見えてくるに違いないから。

求めれば、得られる。形を変えても。

口の無い女が夢に出てきて、何を訴えているか悩んだ男に、陰陽師晴明は、お経の中の、如の字の口が水で滲んで見えなくなって、口を書いて欲しいと如の字の妖精が女に化けて夢に出たと謎解きしたことを同時に思い出した。

漫画陰陽師が公立図書館で借りて読めることを知らなければ、知ることも無かったチラ知識。

そして気がつけば、来年は公立図書館の古文書WSに参加する。如の字の妖精の計らいか。