夕暮れに職場から自宅に向かって歩くことを何度か繰り返しているうちに、同じルートでなく、少しずつ遠回りというか、最短距離を目指すのではなく、その近辺の土地のことも知りたくなって、一本わざと道をずらしたり、曲がってみたりするようになると、渋谷目指しているのが、品川に到着してしまった日がありました。

この日は、遠回りを決めていて、歩いて渋谷に明るいうちに着かないから、浜松町か田町で電車に乗るつもりで、頑張れたら、国道1号で五反田に出たいと欲もあったのですが、途中で国道1号を見失っていました。

ある交差点で、札の辻と信号機の下に表示があり、ざわざわとした気持ちで、横断歩道を渡りました。昔、札所があった場所ということは、高札を掲げて、法律や決まり事を民衆に知らしていた場所ですから、悪いことをしたら、見せしめも此処で行い、江戸に入る人を取り締まっていたということでしょう。ここから先は江戸の町の外。

しばらく歩くと、大木戸の跡という遺跡というか、石垣に出くわしました。本当に、ここが境目だったというわかりやすい目印です。他の大木戸は無くなってしまったようですが、四ツ谷や板橋にもあったようで。

薄暗くなり始めていたので、肉体的にも精神的にも寒くなり、最寄りの駅を目指してまっすぐ道なりに歩くと、品川に駅に到着しました。品川駅周辺は映画を見にきたり、飲みに来たり、研修で泊まりに来たことがあるので、知らない街ではないのでもう安心。

知らない街を歩くこと自体は楽しいこと。知らないことを知るのは、ワクワクすることなのに、札の辻から大木戸跡周辺は江戸時代にワープしそうで寒気がし、品川駅に辿り着いたら、ほっとしていた自分に気付き、時間帯なのか、地域性なのか、妙な感じ。


先日、人気が無くて歩きやすいけど、寒いので、首元に手を当てたり、手ぬぐいを首に掛けたりして、気を紛らわせていましたが、後で調べたら、青山墓地に沿った外苑西通りを歩いていたのでした。

まだ、蒸し暑い日もあるので、夕涼みには良いけれど、風邪ひくわっと自分にツッコミを入れています。

また、別の日に、歩いていたら、急にお腹が痛くなったので、赤坂氷川神社のトイレを借りようと向かったところ、鳥居を潜る前に、公衆トイレを見つけ、洋式もあったので、安心して用を済ましたことがありました。

もう暗くなり始めていたけれど、借りたトイレの御礼をしようと鳥居を潜ったら、気温が下がり、冷やっとしました。「明るいうちにまた来ますから、スミマセン、失礼しました」と、ご挨拶もそこそこに退散。鳥居を出れば、蒸し暑い空気。この差は何?

夏から秋に掛けての夕暮れ時は、こんな風に温度差を感じやすいから、不思議なものです。

追記(転記させて頂きました)
以下抜粋

JR田町駅西口または都営三田線三田駅を利用し、品川方面に歩くこと約300メートル。「札の辻」の交差点が見えてくる。
札の辻という地名は全国各地にあるが、いずれも高札場だったことに由来しているようだ。ここ、三田の札の辻は東海道から江戸への正面入り口で、今も昔も変わらぬ交通の要所である。


1623年三代将軍に就任した徳川家光は、江戸に集まっていた諸大名への示しとしてキリシタンの火刑を命じ、12月4日、50名がこの地で処刑された。昨年2008年11月に列福された原主水もその中に含まれている。


現在、住友不動産三田ツインビルの敷地内に「元和キリシタン遺跡」の碑が置かれている。碑は広場の奥、広くゆるやかな階段を上りつめた先にある。
この階段は済海寺方面への抜け道にもなっているようで、通る人が時折足を止めては案内板に見入っていた。