↑のつづき。
さて、無事に群馬出張を終えた翌日。
出張2日目は茨城県つくば市。
つくばに来たのは大人になってから
初めてである。
東京からつくばエクスプレスに乗ると
1時間足らずで行ける。
こんなに近いとは思わず、
距離感がバグる(笑)
『常陸国風土記』に残る
筑波(つくば)の名の由来↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
筑波県は、遠い昔には紀の国といった。
崇神天皇の御代に、采女(アヤメ)の臣の支族の
筑簟命(ツクハノミコト)を紀の国の
国造として派遣した。
筑簟命は、
「この国に自分の名をつけ、
後代まで絶えることなくずっと
伝えさせたいものだ」といった為に
国名が『筑簟(ツクハ)』となり、
後に「波」の字が用いられ、
『筑波(つくば)』となった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
つまり、
筑波は元々『紀の国』であり、
筑簟命(ツクハノミコト)が
国造(クニノミヤツコ)になったことで
『筑波』になったということである。
『紀の国』と聞いて
和歌山県を思い浮かべたが、
紀国(きのくに)⇒毛野国に転化した
とも云われており、常陸国とお隣の
毛野国文化圏が、この地まで広がっていた
可能性があるとも指摘されている。
有名な筑波大学の近くでのお仕事。
広大な敷地に吃驚仰天。
無事仕事を終えて、散歩がてら
筑波大学よりさらに奥へと歩く。
とても不思議な神社に遭遇した。

小さな古墳の上に建っている。
後で調べたら
玉取一の矢古墳群の1号墳なのだそうだ。

境内社『岩大日社(室大日祠)』。
祭神 大日孁貴(オオヒルメノムチ)
天照大御神ではなく、
ちゃんと『大日孁貴』と記されている。
女神(巫女)の方のアマテラスと解釈して
良さそうである。
「境内社」ということは、
今回の目的の神社の境内社である。


良い感じの公園だ。
この地の地名は、
つくば市玉取(たまとり)。
地名の由来はとても興味深いので、
後述します。

道路の向かい側に鳥居。
社号標は『一ノ矢八坂神社』。
目的の神社にたどり着いた。

鳥居をくぐり、境内に入る。

手水舎。

拝殿。
『一ノ矢八坂神社』
鎮座地 茨城県つくば市大字玉取
創健 平安時代前期(859年)
別称 一ノ矢天王様
祭神 素戔嗚尊(牛頭天王)
旧暦六月七日に行われる祇園例大祭は、
別名『ニンニク祭り』と呼ばれる。
以下、
一ノ矢八坂神社のホームページ引用↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
『祭りの由緒』
その祭りは疫病の流行する夏に行われ、
茨城県における天王信仰の中心となり
「一ノ矢の天王様の祭りが済まないうちは、
自分たちの祇園祭は行わない。」とか
「県内の祇園祭は、一ノ矢の天王様に始まる」
とか言われてまいりました。
特に祭りの時に疫病除けに効力のある
ニンニクが魔除けとして神社から頒布され、
また境内にはニンニクの露店が立ち並ぶので、「ニンニク祭り」と呼ばれ
広く一般に知られております。
ニンニクは、尊が朝鮮にお渡りになり
採鉱・冶金・植林・医薬品等について
学ばれた多くの技術や木種と共に、
薬用の効力に優れた霊力があるものとして
お持ち帰りになられたもので、
その後病気・病難祓除の強精剤として
賞用されたと云う遺風が現在まで
伝承されているものと信じられております。
実際の「ニンニク祭り」の定着は、
江戸時代中期に起きた、
天明の大飢饉の時に疫病が蔓延したが、
当時の地域の領主であった、
堀田対馬守がこの神社の「ニンニク」で
多くの人をお救いしたという逸話が
伝えられておりますが、
以後当神社の祇園祭には、
病厄難を祓い清める「ニンニクお守り」が
御霊蒜としてはんぷされ、
その御利益の信仰により
「一ノ矢八坂神社の祇園祭」が
「一ノ矢八坂神社のニンニク祭り」と
呼ばれるようになったものと思われます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この神社には貴重な文化財がいくつも
残されている。
●本殿(県指定建造物)
●拝殿・覆屋(市指定建造物)
●瑞花雙鳥八稜鏡(県指定工芸品)
●一ノ矢の大けやき(県指定天然記念物)
境内にあった欅(ケヤキ)は、
樹齢850年以上の古木と云われている。
見当たらないと思っていたら、
台風などの影響で倒壊してしまったらしい。
残念。。
八咫鏡のようなご神宝のひとつ
『宝瑞花雙鳥八稜鏡』は、
南北朝時代の作なのだそうな。


拝殿内の様子。

素晴らしい龍の彫り物。
八岐大蛇かな❓️

横から見てみる。


拝殿と本殿を繋ぐこの造りは幣殿だろうか。


横から覆屋。
本殿を納めている。


立派な覆屋の中の本殿を覗くと、
素晴らしい彫刻が沢山あった。

境内社
右側の朱い鳥居が『稲荷神社』
左奥が『天満宮』。


さて、地名である
『玉取』や『一ノ矢』には、
大変興味深い伝承がある。
一ノ矢八坂神社に残る伝説によると、
大昔、九州地方からカラスが飛んできて
田畑を荒らすので、
これを退治しようと天に向かって矢を放ち、
第一の矢で射落とした処に御鎮座したのが、
この一ノ矢八坂神社(一ノ矢天王様)だと
云われている。
カラスは足が三本あり玉を持っていたので、
射落とされた地域を「玉取村」とされ、
また、現在でも矢を射たところは「天矢場」
玉を埋めた処は「玉塚」という地名で
呼ばれている。
また、三本足のカラスを退治したのは、
旭友永という弓の名人であり、
第一、第二の矢は躱されて、
第三の矢で射落としたとも云われる。
それぞれの矢が落ちた場所を
「一ノ矢」「二ノ矢」「三ノ矢」と
称するようになった。
また、
死んだカラスを埋葬したところに亡霊が現れ
再び旭友永が退治したところ、
玉を残して消えたので、
その玉は、現在の『筑波山神社』に
納めたのだそうな。
これが『玉取』と『一ノ矢』の由来。
三本足のカラスと言えば、
八咫烏以外に思いつかない。
とても興味深い❗
そして、
玉を持った
八咫烏(ヤタガラス)が
三本目の矢で退治され、
その玉は筑波山神社にある。
八咫烏が持ってきた『玉』が
潮盈珠(しおみつたま)や
潮乾珠(しおふるたま)なら面白い。
福岡の筥崎宮で行われる玉取祭は、
神功皇后三韓征伐の際に
龍神の捧げた満珠干珠の玉にあやかったもの
だとする説がある。
また、
広島県廿日市市宮島の夏の玉取祭では、
ふんどし姿の男たちが
宝珠と呼ばれる玉をとりあう。
地名としては、
静岡県藤枝市岡部町玉取。
地名の由来とされる『神明神社(玉取神社)』。
遠い昔の話、焼津を含むこの地方を
大津波が襲い、沿岸付近の焼津神社は壊れ、
ご神体として祀られていた玉は流された。
その玉は現在の玉取地区で拾われ、
朝比奈川付近に
玉取神社を建てて祀られたのである。
そして、『玉取』の地名が付けられた。
元々焼津神社にあった宝玉は、
日本武尊が東国征伐の際に持っていた
火石と水石といわれ、
水石は水の霊を鎮める玉として
洪水をしずめるために、
たびたび氾濫する朝比奈川の上流に祀って
水害を防ごうとしていたとも云われている。
つまり、
日本武尊も満珠干珠の玉を所有していた。
関連していたら
なお面白いのですがね~。


授与所ではニンニク守りもあります。



一ノ矢八坂神社。
とても素晴らしく、興味深い神社だった。
珍しいニンニク祭りと、八咫烏と玉の伝説。
古墳の上に建つ不思議な境内社。
見所満載である。

帰りに、近くの『割烹 一の矢』さんで
食事したが、めちゃくちゃ美味だった。
おすすめです❗
学園都市つくば。
興味深いものばかり。
楽しい町でした❗
さてさて、
翌日は千葉県船橋市でのお仕事。
船橋市は2年ぶりだった。
つづく。
ではまた❗

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