↑のつづき。


さて、星田神社を後にして、
妙見河原の道をゆく。



気持ちの良い朝の散歩道。


そして、徒歩17分。


ついにやってきた。

『星田妙見宮』である。


織女(たなばた)し
船乗りすらし
まそ鏡
清き月夜に
雲立ち渡る

<訳>
織姫が今しも彦星の迎え舟に乗って
天の川を渡って行くらしい。
船出の水しぶきで、晴れ渡っていた月夜に
雲が広がっていった。


作 大伴家持(奈良時代の歌人。三十六歌仙)

西暦738年7月7日の夜、
大伴家持がひとりで天の川を見ながら
その思いを綴ったのがこの歌。




星田妙見宮の創建には
弘法大師空海さんが関わっている。

以下、ちょこちょこホームページを
引用、参考にしながら進めます。



2月8日 星祭り
 妙見様の春初めてのご降臨の縁日。
 妙見様とは北斗七星を神格化した神様。

7月7日 七夕祭
 この日は星祭りからちょうど半年目の
 御祭神御降臨日。
 七夕は古くから伝わる当宮の星祭りであり、
 天地の恵み・御先祖の恵みに感謝する祭り。

7月23日 星降り祭
 当山に七曜星が御降臨したご縁の深い
 この日を星降り祭(ほしくだりさい)と称して、
 毎年夏の例祭として盛大に斎行される。


※ちなみに参拝した日は7月22日だった。



4月中旬には『龍神祭』なるお祭りもある。
当宮の祭神『天御中主大神』は、
仏教では妙見大菩薩とも称される。
妙見様は龍の背に乗り、
空を駆け巡り、
の背に乗り海を渡り、
常に龍神・を従えていた。
龍神祭は当宮の守護神のお祭りなのだ。



『交野ケ原 七夕伝説』
現在の枚方市、交野市のあたり一帯は
平安時代の頃には「交野が原」と呼ばれ、
古くから七夕伝説が伝わっている。

案内板にはこう書いてある。

~~~~~~~~~~~~~~~~
むかーしむかし、
交野ケ原に七つの星が天女になって
降りてきて天の川で水浴びをしていました。
それを見た少年は、あまりにも美しい
一人の天女の羽衣を隠してしまいました。

天に帰れなくなった天女は、
その少年との間に一人の子をもうけ、
せっせと機織りをして育てました。

それから三年が過ぎたある日、
天女は天に帰りました。
少年もまた年老いて天に昇り、
今でも年に一度、
七月七日に天の川をはさんで
会うといいます。

成人した天女の子どもこそが、
肩野物部(かたのもののべ)の祖
櫛玉饒速日尊だったのかもしれません。
~~~~~~~~~~~~~~~~



なんちゅうことを書いてしまっているのだ…




次に、
『七曜星 降星伝説』

~~~~~~~~~~~~~~~~
平安時代、嵯峨天皇の弘仁年間(810~824年)、
弘法大師が交野へ来られた折、
獅子窟寺吉祥院の獅子の窟に入り、
佛眼仏母尊の秘法を唱えられると、
天上より七曜の星(北斗七星)が降り、
3ヶ所に分かれて地上に落ちた。

星が落ちた場所は、
一つは星田傍示川沿いの高岡山東の星の森、
一つは、この星田乾にある降星山光林寺境内、
一つがこの星田妙見宮の御神体である。


空海さんはこの時、
星の落ちた妙見山で、
妙見菩薩と出会い、
大切にお祀りした。


今から約1200年前の出来事である。
~~~~~~~~~~~~~~~~



入口からすでに面白い神社。



境内図。

見所は星の数ほどありそうだ。






西暦816年、
この地に星(隕石)が降臨した。

日本の隕石落下の記録上では
二番目に古い。


『七星如意輪観音曼茶羅』

真言宗において、
北斗七星を形成する七つの星には、
生まれた年(干支)によって
「本命星」が割り当てられている。

貧狼星
巨門星
禄存星
文曲星
廉貞星
武曲星
破軍星

ちなみにワタシは酉年なので、
本命星は『文曲星』。

卯も『文曲星』。

西のトリと東のウサギ。



綺麗な参道。

木漏れ日は昼間の星だ。




親子杉参道。



立入禁止の向こうには、
真っ直ぐに伸びる杉の木。

思わず曲がった姿勢をただす。

ある意味「ただすの森」。


『祖霊社』
祭神 歴代宮司 社守の御霊




『下社稲荷社』。
祭神 倉稲魂大神

「下社」と名付けられているということは、
つまり、上には重要な稲荷社が
鎮座しているということである。





妙見宮の鳥居。




手水舎には、龍の親子。

これは珍しい。




階段をひたすら登る。



真夏の朝日がまぶしい。

太陽は、真昼に輝く唯一の星。




七星塚の一つ目
『貧狼星』。





七星塚の二つ目
『巨門星』。




『絵馬堂』。



天の川と織姫…

織姫は天女。






七星塚の三つ目
『禄存星』。



『烏枢沙摩明王(うすまさみょうおう)』。

密教の明王の一尊。

この名を初めて知ったときは
「太秦(うずまさ)」と関係があるのかと
思ってしまった。



その奥には七星塚の四つ目
『文曲星』。

ワタシの守護星。

ありがたや。







社務所が見えてきた。




最高の眺め。

来てよかった。



さらにさらに階段を登る。



拝殿に到着。


弘法大師創建 七曜星降臨の地
『星田妙見宮(小松神社)』

鎮座地 大阪府交野市星田
創建 弘仁年間(810~823年) 嵯峨天皇の御代
社格 星田神社境外摂社
祭神 
天之御中主大神(アメノミナカヌシ)
(仏教では北辰妙見大菩薩)
(道教・陰陽道では太上神仙鎮宅霊符神)

高皇産霊大神(タカミスビ)

神皇産霊大神(カミムスビ)


平安時代には「神禅寺」と称されていた。




神紋かっけー。





境内末社
『鎮宅社』
祭神 太上神仙鎮宅霊符神




『三宝荒神社』
祭神 三宝荒神

仏・法・僧の三宝を守護する。

実は『天女』だったとも…

また、その姿は
三面像の頭上に5つの小面を持つ
『八面六臂』ともされている。


「八つの顔」と言えば、
『八岐大蛇』。

そして『北斗七星』にも繋がる。


徳島県のある地域では、
七社の神社が北斗七星の配置となっており、
付近には『野(オロノ)』という
地名があるのです。


北斗七星は水を掬う「柄杓(ひしゃく)」。

昔の柄杓は『瓢箪(ひょうたん)』であり、
瓢箪の下部分を『カメ』、
上部分を『ツル』と呼ぶ。


瓢箪は『匏(ヒサゴ)』。


匏宮とは現在の『神社』。


籠神社の鎮座する丹後地方には、
妙見菩薩と同じく亀に乗った
『浦島伝承』と、
天女の羽衣伝説でお馴染み
『豊受姫』の伝承が風土記に残されている。


ちなみに豊受姫と同一視されているのが…


阿波の女神『オオゲツヒメ』なのである。


ツルとカメが統べる『籠女(カゴメ)』…


その謎は『瓢箪』で解ける…


かもしれないですねー。
※時にはベタな話を(笑)


ヤマタノオロチに関しては、
とんでもなく興味深いので、
ぜひ❗ ↓




『織女石(たなばた石)』。


影向石(ようごうせき)と呼ばれ、
来臨する神を拝む場所にある石。


今回の関西の旅には、
たびたび『磐座』が登場する。



真上にお天道様が輝く。





さらに奥へと。



もう一度境内図。

見所が多すぎるので、助かります。



『青龍社』
祭神 青龍大明神






『豊臣稲荷社』
祭神 保食大神

先ほどの下社稲荷は、
この社を意識したものか。



妙見山で最も高い場所にある
豊臣稲荷。

豊臣秀吉は関係性ございません。

ホームページによると、↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
妙見宮は主祭神(主に祀られる神)として
天御中主大神
(妙見信仰において北極星と北斗七星)
をお祀りする社です。
伊勢神宮の外宮神主であった
度会氏が説いた伊勢神道においては
天御中主大神と
伊勢神宮外宮の豊受大神
(伊勢神宮内宮の天照大御神のお食事を司る神様)
はご同体であるとしています。

妙見宮では拝殿の奥に、御神体である
磐座(信仰の対象となる岩)がありますが、
実はこの磐座を拝する
(頭を垂れて礼をする・おがむ)と、
その背後の妙見山で最も高い位置に鎮座する
豊臣稲荷社(豊受大神)を拝することになります。
創建以来の古社であり、
妙見宮の奥の院がこの社です。
後世に妙見宮の稲荷社が
大阪城の鬼門に位置することから、
大阪城守護の神として、
いつしか豊臣稲荷社と称されました。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~




『龍王社』
祭神 豊玉龍王・豊正龍王

この社もとても重要である。




一度、拝殿に戻り、
さらに先へ進む。



七星塚の五つ目
『廉貞星』。




七星塚の六つ目
『武曲星』。



『登龍の滝』。



御神水『明星水』。

空海が飲み込んだ明星。




滝のお側には『不動明王』。



ここが「星の落ちた場所」。

隕石の落下地点である。

彗星探索家『木内彦氏』は
臨死体験を経験し、
2000年前に日本にやってきた
『イサヤ』が剣山で昇天したところを
見たのだという。

『イサヤ』はキリストのことなのだそうな。


スピリチュアルなことはよくわからないが、
古代阿波に関連するお話は大好物(笑)


ちなみに、イサヤは最初に
沖縄の宮古島に降り立ったそうだ。

その後、長崎県の『諫早(イサ)』へ。


ロマンだ。


『龍神社』
祭神 金色龍王




七星塚の七つ目
『破軍星』。


七星コンプリート。


いやっふーい☆彡




『石舞台』。



最後に、星田妙見宮のホームページより、
『妙見信仰』の説明を引用。

弘法大師(幼名は佐伯真魚)は、
阿波の大瀧岳(現在の太竜寺山付近)や
土佐の室戸岬などで虚空蔵菩薩求聞持法を
修したとされますが、
とくに室戸岬の御厨人窟で怒涛逆巻く
室戸岬の岩頭に座禅し、
絶え間ない厳しい修行の末、
明け方、口に明星(虚空蔵菩薩の化身)が
飛び込んできたと伝えられます。
宇宙に遍満する無数の星々。
そして中の一つの星の上にて生かされている我。
宇宙そのものが生きている。
人間と同じように 
生まれてくる星。
死んでいく星。
そして、その星々も星雲として一つの形をとり
大宇宙となっている。
その沢山の星雲が群れをなし、
この宇宙そのものが
これ全て法身仏(ほっしんぶつ)の力なのだと。
このとき空海は悟りを開いたといわれます。
その時、眼下の海も空も全てが
一つのものに感じられ、
自らの名前を「空海」とされる
起因となったといいます。
幼少の海の魚、真魚から宇宙に羽ばたき
宇宙空間に座し、
銀河の生成・発展・消滅を
俯瞰(ふかん)したに違いありません。



お守り。かっこよすぎて買っちゃった✌️


噂には聞いていた星田妙見宮。


星のオンパレード。


最高でした。



さてさて、交野市の旅も佳境。


ここからさらに、
本日のゴールを目指し
山に登った。


約1時間かけて…


交野市に来たからには
ご挨拶せねばなるまい。



櫛玉饒速日尊に。



つづく。


ではまた❗




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