最近読んだ「悲しみとともにどう生きるか(集英社新書)」で、宗教学者の島薗進氏が江戸時代の一茶の俳句集「おらが春」を「日本のグリーフケアの文学作品」だと紹介していました。娘さとの生まれた時から1歳で亡くなるまでの日々と思い起こされる俳句作品を集めて物語にまとめたものが「おらが春」なのだそうです。
今も昔も子を亡くした親の気持ちに変わりはないのですね。
取り上げているどの俳人も名前は知っている有名な方で、むかし国語か日本史の授業で聞いたことのある方がみな子をなくしていたとは驚きです。古代や戦国時代ではなく、平和の時代だった江戸時代でも、子供が成人するのは大変だったのだと改めて認識しました。
「露の世は露の世ながらさりながら」 一茶
人の世ははかないことはかねて知ってはいた。だが、だがそれにしても幼子をなく
すことはこれほどまでに・・との一茶の嘆きは身に沁みます。
子をうしなひて
「蜻蛉釣りけふはどこ迄行たことか」 加賀の千代女
私はこの句を元気な子供の様子を詠んだのだとばかり思っていましたが、亡き子を
想う句だったのですね。
子におくれたるころ
「似た顔もあらば出て見ん一踊り」 落梧
歩いている人の中にいつも亡き子の姿を探していたことが私にもありました。
娘を葬りける夜
「夜の鶴土に蒲団も着せられず」 其角
悲しみが迫ってきます。せめて優しい花で覆いたいと葬儀の日に思いました。
愛子をうしなひて
「春の夢気の違わぬがうらめしい」 来山
いっそ狂ってしまいたいと思う親は多いと思います。絶望の中からどう生きなおす
のか、大変なことです
どんなに辛くても、苦しくても、それでも昔のどの親も生き続けたのでしょうし、今苦しんでいる親御さんも必死に耐えておられることと思います。
どうぞ何とか生き続け、お大事に日々をお過ごしくださいますように。
亡き子のために生き続けようと、苦しい日々に心に誓ったのはつい最近のように思いますが、もう長い年月が流れました。いつかかならず少し息をするのが楽になります。そ