「私は、思い出すとはまた創造することでもあるのを理解した」(グリモー)


楽器に触っているだけが練習ではない、頭のなかで具体的に理解できているかどうか、流行りの言葉で言えばそれはイメージトレーニングということになろうか、その大切さを考える。


思えば、子供の想像力や集中力は半端ない。


それが可能となるのは、脳細胞の活動の問題であることは無論として、世界が狭いことも起因するのではないか、と勝手に想像する。


子供目線では、一杯の冷えた麦茶からも世界は無限に広がってゆく。


大人目線では、忙しい時など、下手をすると、麦茶を飲んだことすら気がつかない。


夏が鮮烈に記憶に残らない原因はそこだと思った。


老いた脳細胞で対処するには意図的に世界を狭くする(情報を遮断する)必要があるのかも知れない。


戦略としては、イメージとして、見ることをミクロ化していく、小さなものにフォーカスしてそれを拡大して見ることだろうか。



nogawan