学生時代の懐かしい顔ぶれが集まるというので品川まで出かけていった。


誰しも声が昔と変わらない。


楽しい時間を過ごすことができた。


何人かの方にこのブログをお教えした。


奇特な方があるいは初めて覗かれることもあるかも知れない。


今回はそこのところを意識して書いてみたい。


「いまどうしてる」と聞かれるので「隠居している」と答えたら一様に驚かれた。


隠居では伝わり難かろうと思って晴耕雨読だと説明したら「晴耕」はしていないだろう、と突っ込まれた。


確かにその通りだ、と思った。


仕方がないので、ボーとしている、と答えることにした。


答えて、それが一番正確かもしれないと自分でも思った。


いまの僕の生活をよく説明してくれるものがあるとしたら、それはやはり細川護煕著「不東庵日常」かと思われる。


僕もそこから西行、長明の世界に進んでいった。


退職の前にこうした本を読んでいたわけではない。


どちらかと言うと「隠れて住む人はよく生きる人である」というデカルトの箴言に魅かれ、自分に還る道を模索していたという方が正確だと思っている。


それも不正確か。


要するに、人生の時間が少なくなるに従って煩わしいことに時間が奪われていくことにがまんがならなかった、と言うべきであって、要するに、ナマケモノということなのだ。


だから、現場でがんばっている方をとやかく言うつもりは毛頭ないし言うべき立場にはない。

(そう言えば髪が薄くなっていたのは僕だけだったがどうしてなんだろう)


これはあくまで僕の歩き方なのだ。


大学を卒業して24年間勤労して、残りの24年間は、大学時代のあの自分の立ち位置からもう一度歩いてみたい、と考えたということなのだ。


本来的には、大学を出た時点で、自分の歩きたいように歩いていくのが望ましい。


食えるかどうかなど若者の気にすることではない。


しかし、僕は、とりあえず「食う」ことを優先した。


冒険と無謀を履き違えてはいけない、と考えていた。


その判断を後悔するものではない。


しかし、どこかでそれを断ち切らないとまずい、とも考えていた。


ところで、実際に、その「ナマケモノ」生活に入ったら、当初一時期落ち込んだ時期もあったものの、改めて目の前を偉大な先輩方が歩いていることに気がついた。


鴨長明氏である。


奇しくも「方丈記」は1212年に書かれたというから、今年は丁度800年ということになろうか。


世が乱れ天災が続く様がこれほど「いま」と似通っていることに驚きを禁じ得ない。


そして、そうした世にあって、


「いま、寂しき住まひ、一間の庵、みずからこれを愛す。帰りてここに居るときは、他の俗塵に馳することをあわれむ」(方丈記)なのであり、


兼好法師の言う、


「日暮れ途遠し。吾が生既に蹉跎たり。諸縁を放下すべきときなり」の心境に近しい。


先輩方はまだまだいらっしゃる。


西行、芭蕉、など挙げればキリがない。


我々にこうした遺伝子が残されていることを愛おしく思う。


どこかの島を買うことばかりが愛国でもなかろう、とも思う。


ところで、昨日も気になることがひとつだけあった。


現場に残るか、それとも隠居するか、それはお好みでどうぞ、というところであって、どちらがどうのというものでは決してない。


気になったのは、残る方が大抵、口を揃えて「石にしがみついてがんばる」とおっしゃる。


現場に残ることは楽しい、組織で勤労に励むことは楽しい、どうしてこんな楽しいことを辞めるのか、といった類の言説に僕は出会ったことがない。


まるで、働くことは厭離穢土と言わんばかりである。


それは、風土なのかも知れないとも思うけれど、やはり今という時代がそれほどまでに大変な時代だということの証なのかも知れないとも思う。


社会制度を云々する立場にはいないけれども、誰もが働くことが楽しいと思えるような社会でないというのはかなりまずいと思われる。


どこに居るのであれ、いまの立ち位置が愛おしいと思えるような処に在りたいし、また在ってほしいと願っている。


幹事さんに感謝をこめて。



nogawan