このところ、リクエストとクレームについて気になっている。
今日はたまたま、スーパーの総菜売り場でオバハンが係の人に食ってかかっているのを目にした。
「おたくはね、ワサビが少ないんですよ。いつも言おうと思っていたのにね。誰もいなかったから」
まるでワサビの量が少ないのは犯罪であるかのような押しの強さである。手にはパックの寿司が掴まれているた。
うーん、これは難しいだろうな、と内心思った。
スーパーとしては万人向けにむしろワサビを意図的に減らしているのだろう、と想像した。
それにしても、
味が足りなければ自分で足せば済むことじゃなかろうか、と考えた。
ところで、
相手が役人であれ店の人であれ何であれ、利用者が要求を伝えるのは、すべてこれ、リクエストなのではないか、と考えるようになった。
利用者がリクエストを相手に伝えること自体は何も問題はない。
そして、そのリクエストを相手が了承するか、退けるか、は相手に属する問題であるのだろう、と思われた。
不思議なのは、あらゆる場で、本来ならばリクエストであるはずの言動がクレームと化しているのはいったいどういった理由によるものなのか、がよく分からない。
客がサービスの提供者に対してリクエストを出すのは当然のことと思われる。(無論、常識の範囲でという前提つきではあるが)
それが、初めからクレームと化すのはどうしてなのか。
これは出す方の問題なのか、受け取る側の問題なのか。
つまりリクエストがクレームとして扱われてしまうのか、それとも、そもそもそれがリクエストだということを忘れているのだろうか。
クレームに対しては対応することが絶対条件の様相を帯びている。
だから、いろいろな場においてクレームが発生しないように予め最大限の配慮をするようになっる。
すると、大抵の場合、サービスも商品も「まぁそこそこの」ということになる。
言ってみれば活力がなく、おもしろいものが消えて言った。
そりゃ当事者にしてみればクレームがくるより、そこそこのものであってもクレームが発生しない方が断然いいに決まっている。
当事者は自分の生活がかかっているのだから冒険はできない。
それは痛いほど分かるのだけれど、しかし、なんともツマラナイ。
せめて、双方がこれはクレームではなくリクエストである、という理解が成立する規範ができれば素晴らしいと思っているのだけれど。
nogawan