外は日差しが強い。
蝉が力いっぱい鳴いている。
寝ころびながら借りてきた「ニューヨーク」 猿谷要 を読む。
こんな記述を目にした。
「日本の学生には顔がないようにみえた。アメリカの学生にはそれぞれに顔があった」
68年の大学紛争の際の記述である。
当時、米国の様子を現地で見ていた筆者は、日本の学生たちが「手拭いで顔の半分を隠して隊列を組み、リーダーの笛一つで整然と行動する」風景にそう感じたという。
ようやく最近になって第一線を退き始めた彼らの世代は学生の時からすでに顔がなかった。
コトは彼らの世代に留まらない。
通商条約締結のために志願してこの国を訪れたハリスに対して幕府は下田奉行の役人をたて「ぶらかし」という戦法にでる。
「ぶらかし」とは無目的な時間かせぎだそうである。
この対応に閉口させられたハリスは神経症に追い込まれ吐血するまでに至る。
こちらは司馬遼太郎による記述である。
もっとも、ハリスの件については「政治」の交渉の話であるのだから、多少の駆け引きはやむを得ないとも思われる。
それにしても、役人おそるべし。
我々は自分の顔を隠して何を守っているのだろうか。
なにより怖いのは、顔を隠しているうちに自分でも自分の顔が分からなくなる、ということはそう珍しいことではないらしい、ということだと思う。
nogawan