ショコタンが小さい頃に聞いた音楽を説明するに「細胞がしっかり覚えていた」という表現を使っていることに感銘を受けた。


若い頃はレッスンで小学生に無伴奏をやらせる意味が分からなかった。


小学生にはつまらない曲だろうと思われたからだが、いまではそれは間違っていることが分かる。


そして、それを羨ましく思う。


彼らの細胞にしみ込んだバッハの音は時を経て熟成されていく。


そして、細胞もしくは遺伝子に刻み込まれた音が我々が音楽を聞いて涙する理由なのかも知れない。


昔、安永さんの演奏を間近に聞く幸運に恵まれたことがあったが、ある曲をきいて、その場にいた多くの人がまったく同じ印象を語ったことに驚いた。


誰もが「宝石箱をそっとあけた」と感じた。


刹那、時間が止まって、聞く人の細胞のなかに記憶を呼び覚ましたのだろう。


プルーストのマドレーヌではないが、音のなかにはいろいろなものがそれこそ数え切れない位詰め込まれている。



nogawan