雑念が多いのは是か非か。


まぁ、自分のやり方で歩いていくより仕方ないだろう。


昼にマックのグランドキャニオンを食す。


期間限定というのはまことにずるい。


いつも売っているならわざわざ買いにはいかない。


「食べられなくなる」からわざわざ行く。


そこを突いている。


ずるい、と思いつつ、寒いなか自転車を走らせる。


持って帰ってくるあいだに冷えてしまうのが残念。


昼のニュースを見ながらかぶりつく。


そういえば、最初に便所飯(トイレ飯)という言葉を聞いたのはいつだったか。


驚愕した。


一人で昼飯を食べる姿を見られたくない学生が仕方なくトイレで昼飯を食べることをいう。


好き好んでトイレで飯を食う人間はまずいないから、要するに、天秤にかけてトイレで食べる方を選択するということで、要はそれだけ嫌だということなのだ。


大人ならこう思うだろう。


だったら外に出てマックや吉野屋で済ませればいいじゃないか。


そうもいかない事情がある。


最近は構図が逆になったが、以前は法律の関係で大学は郊外に立地せざるを得ない時代が続いた。


一歩外にでれば畑だけという環境もめずらしくない。


さらに大学は出席管理等をきびしくした。


カリキュラムも大概はきつくなっている。


昔のように雀荘にいりびたって卒業という図は成立しない。


昼休みの時間はせいぜい1時間程度である。


とても外に行って済ませるというゆとりはない。


おまけに図書館は飲食禁止だとか、堅苦しいことこのうえない。


僕の先輩なんか図書館に籠城して卒論を書いていた。


あれはいったいなんだったんだろ。 笑


話は逸れるが、図書館といえば、僕が本を読んでいたら、向かいに座る女の子がしきりに自分の枝毛をいじっては抜くということをはじめた。


当時は、ついたての下の方があいていて向こう側が見えたのである。


だんだん気になってきて、ついに「向こうでやってくれ」と書いたメモを差し入れた。


すると、フンッといった感じでカツカツとハイヒールの音を響かせて行ってしまった。


ただそれだけのことなのだが、すごく勿体ない気がいまになってするのはどうしたわけか。 笑


若いとはそういうことなのだ。


それはともかく、


上級生になればそれでも工夫する知恵やゆとりが生まれるが新入生はとても無理。


もっとも繊細な10代後半という年齢、さらにまじめな学生ほど学内で昼飯を済ませることを余儀なくされる。


最近になってしみじみと思うのだが、


若い頃はどうしてあれほど「独り」であることを嫌がったのだろう。


他人と一緒にいることが何故あれほど嬉しかったのだろう。


この年になってしまえば、本当に大切なものは唯ひとりでその課題と向かいあうことでしか手に入らないとわかるのに、当時はそれにすら反抗していたように思う。


人間は、本当に大切なことには目をそむけるようにできているんじゃないか、とまで疑いたくもなる。


果たして、独り飯が格好悪いと感じるのは、文化規範なのか、それとも遺伝子の技なのか。


そういえば、サラリーマンも独りで食事している奴は少なかったなぁ。


特に女子なんて一週間先まで誰とランチするかが決まっていたり。


結構根が深い問題なのかも知れない。


キーワードは居場所なのだろう、とは考えている。



nogawan