散逸してきたので、少しまとめておきましょう。


山折氏は西行について「何者にもなろうとしなかった」と評し、堀田氏は

「ルネサンス的人間」と、評しました。


何者にもなろうとはしない、ルネサンス的人間、そして、僕は

西行は貴族ではなかった、ということも、要因のひとつとみています。


貴族であれば、はじめから、何者になる必要もなく、全方向的に

生きられたのではないか、そう考えるからです。


いまのところ、ここら辺が、僕にとって、示唆的です。


一連の話がどっちに向かって進んでいくのか、自分でも

楽しみです。



nogawan