ディレッタント、この言葉も、我が国ではどちらかというと、

決していい意味ではなく、単に「好事家」を指す、中途半端なという

意味合いを含んでいるのではないでしょうか。


西行から50年ほど下りますが、親鸞もみずからを「僧にあらず俗にあらず」と

己の立場を表明しており、さらに、親鸞が憧れたという、賀古の教信沙彌

いわれた人も、また、僧でもなく俗でもない生活を送った、とされています。


唐木順三「中世の文学」によれば、西行自身も歌人でも僧でもない、いわば、

両方からのディレッタントと位置づけられ、西行に限らず、この時代、出家した

僧が宗門の堕落を嫌い、寺門を離れ、山に逃げたものの、そこも私領を寺社に

寄進し保護を受け、それを僧兵が守っているといった案配で、彼ら遁世者らが

最終的には、山をも捨てて、行き着くところ、旅に至らざるを得ない、ことが

指摘されています。


その世知辛さ、逃げ場がないところ、まるで、現代に通ずるかのごとき

ですが、僕は、このディレッタンティズムということに僕は着目していました。


後に、「数寄」ともなるディレンタンティズム、現代の我々の感覚では、

そこら辺の土地持ちの親父さんが、下手な三味線を鳴らしている、程度の

イメージしかないと思われますが、僕は、そうした負のイメージではなく、

そこに、敢えて、アマチュアの復権を読み取りたい、と目論んでいます。


話はずれますが、

実は、書き始めてから気がついたのですが、

1970年代に似たような運動があったと理解しています。


あくまで、個人的な解釈となりますが、飛騨に作られた「オークヴィレッジ」や

北海道の「アリスファーム」といった団体、彼らは、むしろ、経済的に独立した

生産体系や生活様式を求めての活動と理解していますので、こうした隠棲的

な、ましてやディレッタントの流れでふれるのはよろしくないかとも思います。


ただ、さきほどの「賀古の教信沙彌」をはじめて知ったときには、そこまで

想像が及ばなかったのですが、単に生活形態としては、似ているように感じた

のです。


無論、上記の団体は、宗教とも無関係です。


実は、若い頃に、その形態に憧れた時期があり、アリスファームに至っては、

現地にお話を伺いに行ったことまでありました。


そんな個人的な感慨がふと蘇って参りましたので書かせて頂いた次第です。


さて、ディレッタントに話を戻しましょう。

いや、むしろ、ディレッタントという言葉にとらわれる必要などありません。


それどころか、むしろ逆に、本当にすごいものは、意外にも多くの人に知られて

いない処でひっそりの大切に守られたりしていることが多いのではないでしょうか。


大抵の場合、そうしたものは、商業文化の外側で、アマチュアの方たちによって、

長いあいだ大切に守られているものです。


逆にいえば、芸術家が、専業でお金を稼げるようになったのは、極めて最近のこと、

です。


文化や芸術を伝えてきたのは、こうしたアマチュアの方々の存在が大きいのだ、と

いうことは、もっと知られてよいことだと考えています。


書いてみて、まだ、ディレッタントとアマチュアとの関連がいまひとつぼけていますね。


何が通底し、どこに向かうのか、引き続き、考えたいと思います。


天気もいいし、どうぞ良い週末を。


ハイ、これから片付けです。


いま、こそこそ隠れて、これを書いています。


そろそろ、見つかる頃かと存じます。



nogawan