おはようございます。

いつも読んで頂いてありがとうございます。


今日のタイトルは、作品とは~。


西行については、ボチボチ読んでいます。

すると、なんだかんだ言って、結構みんな、出家の原因に

興味津々なんですね。


不可知と言い切ったのは、少なくとも、小林秀雄だけ、僕の

知る限りは。


なんか、ほっとしました。


僕は、西行については、専門的な研究書には手を出していません。

難しいから、というのもあるけれど、僕の興味は、たとえば彼の出家の

「本当の理由」ではなく、それを知ることで、自分がものを考えていく

参考としたいから、に他なりません。

その点では、それが事実かどうか、には、さほどの興味はない、

むしろ、論者の視点や世界観が鮮明であったほうが有り難いのです。


僕は、大学時代、実は、史学科だったのですが、こうしたところは、まさに

史学科失格ですね。


すぐれた作品には、それが小説であれ、絵画であれ、音楽であれ、詩であれ、

そこに必ず作者の世界観が通底しているものです。


たとえば、ベートーベンさん。


これでもかという不幸のどん底で、彼は、世界に向けての贈り物を書いた、

そこに流れる彼の世界観は、我々の心をなにより勇気づけてくれます。


また、作品は、モノである必要はない。


人間は、自分が生きる、ということで、自分を彫刻していくこともまた可能な

どたと思います。


これなら、誰にでもできるでしょ。


そろそろ、森有正やリルケのお話をする時期かも知れません。


ただ、西洋の方には、先日お話ししたバッハのマタイ受難曲に書かれているよ

うな動かしがたい「軸」が厳然として存在します。


僕はクリスチャンではないので、宗教の問題は避けますが、

芭蕉の最後の境地「軽み」ということと、西洋の「軸」は、まだまだ不勉強です

が、対象物へのアテプローチという点で大きな違いを感じざるを得ない。


我が国の作品化への基本態度が、ポップにある、と括れてしまえるのであれ

ば、話は早いのですが、たぶん、それは乱暴であるとのご批判がおありでしょう。


まだまだ、道は、遠いです。


引き続き、よろしくお願いします。



nogawan