街を歩いていても、車を走らせていても テレビを見ていても
目を止めるものというのは、本当に違うとしみじみ思う
仕事で助手席にヘルプとしてカミさんを乗せていると、街の景色から通りの木の種類やら生育状況
街を歩けば、木々の止まる野鳥に目がいくのがカミさんである
さすがの私も、『桜並木』や『銀杏並木』は判るが ケヤキ並木やハナミズキなどが咲いているとか
昔に比べてこの辺りの木々が成長したと言われたら、まったくのところ降参である
保育士である息子は、街を歩いてもショッピングモールに行っても、小さい子供に目がいくという。
知り合いの美容師さんは、街を歩く女性のヘアスタイルが気になるというし、スタイリストさんは、
当然街を歩く人の衣裳や着こなしが気になるらしい
それは確かにそうなんだろうと思う。
人が情報量の溢れる街に出た時、すべてに目を配る事なんて出来やしない
だから人は、見たいものを見る
という事で、私はというと 建物の窓を見ている
もっと正確に言えば、『網戸』だ
『あの網戸 破れてるんじゃないかな?』
『あそこには、網戸が付いていないみたいだけど、どのタイプなら付くだろう?』とか
柵が付いていると、どうやって外したらいいかとか、頼まれもしないの考えている
ワーカーホリックと言えば、間違いなくそうだろう
でも、言い訳すると、『儲けたい』という気持より『直したい』とか『どうやって取り付けようか?』
という気持ちの方だ。
でも、だからと言って、そんな家一軒一軒チャイムを鳴らすわけにもいかない
だから、その思いだけで眺めてい
昔 とある先輩が言った
『なぁ、Hよ 教えてやろう 網戸や窓は 財布を持っていないんだから、』
なるほど、どんなに直してほしくても、彼らは声を出せないし、お金も持っていないんだね