こんにちは。Elmarです。

 

ドイツ文化の中で、日本人の私にとって高いハードルは、彼らの「議論」文化かなと思います。

 

ドイツ人は、日本人より、自分の意見をはっきりと言いますし、誰かに意見を言われても、特定の事項に対する意見と割り切って聞くことに慣れています。そのため、「議論」がいたる所でされるわけです。

 

意見には、自分に肯定的なものを、否定的なものを含まれます。

 

日本文化に育った人は、誰かに否定的な意見を言われたら、自分が全否定されたような感情を持つものではないでしょうか?そのため、相手を傷つけないように本音を言わず、建前をいう事もあれば、伝え方を非常に工夫するのではないでしょうか?私は、そんな風に日独の違いを見ています。ドイツ人の「議論」は、日本で育った私には時に「喧嘩」に見えます(笑)

 

(もちろん、ドイツ人も「伝え方」や「言い方」に気を配る人も多くいます。相手を選んで議論をする人もいます。)

 

クリスマスで親戚が集まった時、義母に50代の義姉が昔話のいちエピソードとして、言いました。

 

義姉「小学生の時、行きたくもないスキー教室に送られて嫌だったわ。両親は、社会性の育成によいと思っていたと思うけど、私は知らない子の中で何日も過ごさないといけないというのが本当に嫌だったの!」

 

義母「あなた、当時そんなこといっていなかったじゃない!しかも、知っている子一人いたでしょう?」

 

義姉「いいえ、私は、本当に嫌だったの。アルバムの写真にも書いてあるわ。「また、○○に送られた」って。」

 

途中省略。

 

義母「もう、やめてよ。今更…」

 

こんな会話を聞いたら、親子喧嘩か?と思いません?

 

でも、こういう会話の後、両者ともサラッと違う話題に移るのですよ。ドイツ人は!

 

ただの、意見交換だった?ようです。

 

私も、義母に批判されても、表面上サラッと違う話題に行けますよパー大人の対応ってやつですね笑

 

でも、心にシコリというか、ストレスは掛かりますね。本音を言える文化というのはいい所もあります。でも、そんな文化の中でも「言い方」「伝え方」って大事だと思います。

 

上記の会話だって、両者の心にどこかシコリを残したと思いますよ。東ドイツで育った義母は、思ったことをいう事が大事だという信念なので、批判的意見もガンガン言います。そんな義母に育てられた義姉の話し方は、いつもどこか防御的なんですよね。批判の隙を与えないみたいな。聞いてもいないのに、言い訳を先に言うような感じです。

 

2人の会話をクリスマスに聞きながら、これは、「議論」に入るのか、やっぱり「喧嘩」の部類なんだろうか・・・?なんて、考えました。

 

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