00 gooの記事”ニ・ュ。ハ」ア」ー。ソ」イ」ケ。ヒ”が自分のgooブログ参照第2位に入っている。別にdadaではない。種明かしすると、OCNさんの”Blog Cafe”からの変換が上手くいかなかったのだ。OCNさん後継ブログでは成功したので、“どうしても”という方はそちらを見て欲しい。
0 カテキズムの変更のみ。写真は、9/20(土)の東京、21(日)の名古屋。
27・28の土日は近所で過ごす。二日とも午前壁打ちテニス&散歩しながらの「現代詩手帖・現代詩年鑑2014」熟読。土曜日昼から、教会で「ミサの友」使っての「集会祭儀」、上郷図書館での読書、飯高グランドでのテニスの3つ。夜は、松川の集会祭儀に与る。飯田教会に寄り、10時頃迄祈って帰ってくる。TVで御嶽噴火のテロップに驚く。亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。NHK字幕では、「日曜午後中南信に灰が降る」と。目の悪い母と二人暮らしでは、日曜松本行きは見合すべきと決める。日曜休む。が、翌日散歩していて懸念はいらないのではと。昼から教会へいく。午後11時に帰ってくる。実は、神父様が不在。ドイツに休暇で帰っている。なので、お御堂で祈っては信徒会館で勉強を繰り返す。
二日で読んだ本。仕事関連の他、“The Dairy of Saint Faustina Kowalska”「作業療法の理論」(キールホフナー)「現代詩手帖・現代詩年鑑2014」「ヨーロッパ文学」(西脇順三郎)アーサー・シモンズ「象徴主義の文学運動」「写生俳句及び写生文の研究」「写生派歌人の研究」(北住敏夫)(この2冊は松本に行くということで電車の中読み返したかった本。わたくしの中の絶対のリテラチャア・バイブル。)「複素解析概論」(野口潤次郎)「万葉名歌」(土屋文明)など。
帰ってTVをつけたら教育で「量子コンピュータ」をやっていた。ラスト5分を見る。カナダの会社が実現とか。実現する上で、‘90~’00の日本の研究が鍵らしい。更に、グーグルとカナダの会社共同で量子コンピュータが実現しつつあるとか。嬉しい限り。
不思議なことが。10時頃、明日があるし、夕食未だなので、帰ろうと。ついては、その日3回目の「主の慈しみ」「ロザリオ」を祈ってた。終了間近、目がマリア様に釘付けになる。半脱魂状態に。心の中に「大矢先生の為に一生懸命祈りなさい」の言葉が。およりてで、歩きながら夜空の下、ロザリオを唱えていたときも、再び「祈り通しなさい」の言葉。以前はずっと、祭儀の中で、先生の為にも祈っていたが、ここ1年程サボっていた。何か先生のご迷惑になるようなことを知らずやってしまったのだろうか。心配になる。
帰り、野底川で流星を見る。何もなければいいが・・・。
月はファミレスで。仕事関連の他、“Japan Times On Sunday”「英文和訳演習上級編」(伊藤和夫)「パドヴァの聖アントニオ」などを読む。昨日は飯田へ。松川沿いに自転車で行き、歩きで羽場坂を登っていく。「ヴァージニア・ウルフ」(ゴードン)「モジュライ理論1」(向井茂)の2冊を読む。書棚に並んでいて、タイトルを“モジリアニ”と(壁にもモジリアニが張ってある所為もあり)読んでしまう。思わず手にする。そのまま持ち出す。
ウルフやモジリアニの悲運にオーバーラップするかのように苦しみが。苦しいとき、わたくしは次のように祈ることにしています。“主よ、この苦しみに感謝します。主の十字架に与れたことに感謝しています。そして主よ、わたくしは他の苦しみ・悲しみをも欲します。他の杯をもあなたから欲します”
アントニオーニの映画「情事」をなかなか進められない。島の小屋のところ。リチーの指摘に納得。リチーの「映画のどこをどう読むか」の該当箇所を読む。
引用は変わらない。
“正反対性(両極性)を使って自分の言いたいことをあらわすこのアントニオーニの方法は、幾何学的である。両極端を持つ線があって、われわれはその両端を見るよう求められる。後へ行くほどこの映画は幾何学的な要素でいっぱいになる。背景の一部に見られるバロック風の幾何学的なものとか、青写真や建築用の図面の使用といった見てすぐわかる表現だけではなく、テーマを明確にし、例証し、文学的にあらわすための幾何学的な構図がたくさん使われている。”(p.87)
1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。前回踏襲。
「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」(ピノック(チェンバロ);アリヒーフ)
「バッハ:パッサカリアとフーガハ短調他」(ヴァルヒャ(チェンバロ);FIC)
2 アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)からは、変更なし。
“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)
4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。6回目、多分。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。
“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正しようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・//空に白雲が立ち籠め 木々の緑 その影は 日差しを遮り 小さなバルコニーには 混沌が形成されていた 空港に出て 半島を半時計周りに巡って また読み止しの本に戻った// 「ステファニーが フランスに旅をして お菓子屋になる為に パリで勉強する やがて 大人のする恋をした そして 振られ・・・」//お座なりに投げ出された鞄から 星が銀河のように溢れ出て 空間を限りない光で満たした//次第に遠のいて行く テールランプ 棒状に浮かぶ雲たち 庇には もう東の月が出ている 周到に準備された 文月のような それでもう 終末に近いことが分かる//しなければならなかったことを 後悔して 記憶に残る糸を 辿ってみる 階段を駆け上る//そして 過ぎ去った時間の中 人間は人魚であった 住み慣れた街を捨て 逸れた恋人が タクシーで テールランプを追うように 記憶の微かなうねりを そのままに捉える//人間は嘗て海にあった 朝焼けは意外と簡単で 独り下宿の六畳間で 立ち尽くしていたが 調べなき夕暮れに 東風が出てきた 珈琲を飲み 貿易風についいて 若干議論する//「必然」と染められた旗が 風に運ばれ「憮然」と翻る それが自然の真情だったのかと 轍にぬかるんで 夏の午後 身動きが取れなくなった//白い幽霊が 下北に出て 蒼い白鳥が 係累を払いながら 露に噎せ入って 水底に沈められたのは 何の象徴だったのか//水路を流れる 淡い鴇色の風景 結末は未だ知らない 春も未だ来ない 体育館から人が出て 五島の方へ旅立つ ぞろぞろと 黒子のあった辺りを結ぶ 嵌められた絵のような 水晶の球ばかり 一瞬のざわめき//(掲載未了)
追加分だけ見ても、粗い。推敲が足りない。一応シュール詩だが、2つの連の終わり“水底に沈められたのは 何の象徴だったのか“”一瞬のざわめき“が甘い。唐突。そこを何とかしたい。そういった箇所を埋めるのが詩作・推敲の中でも大きなウェートを占める。切れ味!
5 From “Introduction to Quantum Computation and Informatios”(Hoi-Kwong Lo et.al.;World Scientific)の“Quantum Computaion with Nuclear Magnetic Resonance”(I.L.Chuang)より、p.316
“2.3 Spin manipulations /Spin are manipulated by applying a much smaller radio-frequency field,B1,in the x-y plane to excite the spins at their resonat frequencies ωi.Using the rotating wave appoximation,we find that in the rotating frame the spin evolves under an effective field B=B1cos(φ)x+B1sin(φ)y(where φ is the RF phase).Near resonance,even a small B1 can cause large spin rotations,and by varying φ and magnitude of B1,the rotation angle and axis can be controlled.Furthermore,by applying RF fields at different frequencies,different spins can be selectively exited.Mathematically,this effect from a resonant perturbation is well known,and a derivation is selected here for completeness.Consider the Hamiltonian H=hω/2σz+hδcosωtσx where σi are the usual Puli matrices.
量子コンピュータの代表的な教科書からの第5回。“コンピューティングにハミルトンの四元数を使う”に関連し。
6 “夜会には何着て行きたし白牡丹”
自作俳句。少し古い。
7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
(from “Catechism of the Catholic Church”)
8 “1939: These attitudes and “structures of sin” are only conquered -presupposing the help of divine grace-by a diametrically opposed attitude;a commitment to the good of one‘s heighbor with the readiness,in the gospel sense,to “lose oneself” for the sake of the other instead of exploiting him,and to “serve him” instead of oppressing him for one’s own advantage.
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
9 年間第26水曜日福音朗読より。ヨハネによる第9章から。
“イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」・・・「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」・・・「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にすさわしくない」
(-イエスの弟子になるということはどういうことだろうか。それは「イエス自身のものになること、イエスを自分の心の中心にすること」。)
†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。
2014年10月1日
乗倉寿明記す