日記 | St.Augustinusのように語りたくて・・・・

St.Augustinusのように語りたくて・・・・

インターネットに持っているのは、様々な形で、これで7個目になってしまいました。時々、逸脱します!そんな時、「告白」を読み返したいと思います。余りに重いタイトル。少しでも、何かを語れればと思いました。

0 多忙なので、順番の数学変更のみ。
写真は、9/3(水)の飯田。散髪に訪れたサティーのモールにて。すがきやさんでラーメン食べて、“鎖を振りながらの通行人”してて。偶々撮影してたのを“カメラ小僧”する。撮影の現場とか芸能人とかに出くわすのは本当に珍しく、内田有紀さんのコンサートか乙女コーポレーションくらい。内田有紀さんは、マネージャー見習いで東京に通っていた時期。キックオフの意味で。その時期、有名なスタッフさんにはお目にかかったが、目ぼしい俳優さんはゼロ。“目指して”を共にした訳だ。それ以外では、渋谷の教会でミサのとき隣を見たら“奈良岡朋子さん?”。自分ではそう思ってるんだけど、自分の意見でしかない。

アントニオーニの映画「情事」をなかなか進められない。島の小屋のところ。リチーの指摘に納得。リチーの「映画のどこをどう読むか」の該当箇所を読む。
引用は変わらない。

“正反対性(両極性)を使って自分の言いたいことをあらわすこのアントニオーニの方法は、幾何学的である。両極端を持つ線があって、われわれはその両端を見るよう求められる。後へ行くほどこの映画は幾何学的な要素でいっぱいになる。背景の一部に見られるバロック風の幾何学的なものとか、青写真や建築用の図面の使用といった見てすぐわかる表現だけではなく、テーマを明確にし、例証し、文学的にあらわすための幾何学的な構図がたくさん使われている。”(p.87)
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1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。前回踏襲。
「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」(ピノック(チェンバロ);アリヒーフ)
「バッハ:パッサカリアとフーガハ短調他」(ヴァルヒャ(チェンバロ);FIC)

2 日曜日に詩を一編作って「詩と思想」に送る。毎月の新人作品応募。ささやかな小品といったところ。月は仕事の準備・仕事。火曜日は赤石短歌会。1時間程祈って帰ってくる。帰宅後家で勉強。夜仕事。水曜日はモールに。床屋。すがきやさんで2時間程本を読む。木は終日家。詩の勉強などで紛れてしまう。夕方から仕事。
「奥村晃作歌論集・現代短歌」「医学部への化学」「心音」(新沢まや)「英語総合問題演習上級篇」「カオス・インパクト」「精解化学Ⅰ」「現代名詩選(上・中)」(伊藤信吉)「現代詩人論」(大岡信)「ゼロ年代の論点」(円堂都司昭)「西脇順三郎詩論集」「西脇順三郎研究」(村野四郎他)「多変数函数論」(西野)「現代詩の鑑賞3」(明治書院)“Dubliners”(Joyce)「セグロカモメの世界」(ティンバーゲン)など“読み散らす”。

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アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)からは、変更なし。

“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)

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4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。4回目。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正しようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・//空に白雲が立ち籠め 木々の緑 その影は 日差しを遮り 小さなバルコニーには 混沌が形成されていた 空港に出て 半島を半時計周りに巡って また読み止しの本に戻った// 「ステファニーが フランスに旅をして お菓子屋になる為に パリで勉強する やがて 大人のする恋をした そして 振られ・・・」//お座なりに投げ出された鞄から 星が銀河のように溢れ出て 空間を限りない光で満たした//次第に遠のいて行く テールランプ 棒状に浮かぶ雲たち 庇には もう東の月が出ている 周到に準備された 文月のような それでもう 終末に近いことが分かる//しなければならなかったことを 後悔して 記憶に残る糸を 辿ってみる 階段を駆け上る//そして 過ぎ去った時間の中 人間は人魚であった 住み慣れた街を捨て 逸れた恋人が タクシーで テールランプを追うように 記憶の微かなうねりを そのままに捉える//”(未了)

取って付けたように、詩の読みを再開したばかりなので、「評がどうかな?」と思いつつ一点だけ。「しなければならなっかたことを 後悔して 記憶に残った糸を 辿ってみる 階段を駆け上る」の「~して ~をしてみる ~する」のフレーズ。ごく自然に頼ってしまう。


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5 From “Introduction to Quantum Computation and Informatios”(Hoi-Kwong Lo et.al.;World Scientific)の“Quantum Computaion with Nuclear Magnetic Resonance”(I.L.Chuang)より、p.315 
“2 Physics of Nuclear Magnetic Resonance 2.2 Thermal equilibrium state”から
 The thermal equilibrium state of the system is described by the diagonal density matrix ρ=e^(-βH)/tr{e^(-βH)},where β=1/kBT.Since kBT at the room temperature is usually much larger than hB0(by about 10^5),this state is well appoximated by ρ≒1-H/2^N.For N=1 this gives
ρ≒
  1-hω/2kBT [1 0 /0 -1] (2×2matrix)
and for N=2(and ωA=4ωB)
ρ≒
1-hω/4kBT[5 0 0 0/0 3 0 0/0 0 -3 0/0 0 0 -5] (4×4行列)
This state may be interpreted as being a mixture of the four pure state |0 0>,|0 1>,|1 0>,|1 1>(we shall use 0 to represent the spin-down state↓,and similary for 1 and spin-up↑.Of course,since the ensemble contains some 10^23 molecules,the microscopic system is probably actually composed quite differently;the same density matrix can be decomposed in an infinite number of ways into mixtures of pure states,but as von Neumann originally pointed out(see,for example,Sakurai),as long as only ensemble averages are measured there is no way to tell distinguish among them.It is also important to note that the part of ρ proportional to the identity is unobservable in NMR experiments;only differences in populations of different staes are ever measured.Mathematically,this is reflected by the fact that only traceless observables,such as the transeverse magnetizations,are experimentally accessible quantities.“

量子コンピュータの代表的な教科書からの第3回。
15年位前の“コンピューティングにハミルトンの四元数を使う”に関し。

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6 “蛞蝓の跡ほのめくや春の月”
自作俳句。少し古い。

7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939:It is above all a question of interdependence,sensed as a system determining relationships in the contemporary world,in its economic,cultural,political and religious elements,and accepted as a moral category.When interdependence becomes recognized in this way,the correlative response as a moral and social attitude,as a ”virtue“,is solidarity.This then is not a feeling of vague compassion or shallow distress at the misfortunes of so many people,both near and far.

(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)

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9 年間第22金曜福音朗読。ルカによる第5章から。

“「だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。また、だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を破って流れ出し、皮袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れねばならない。また、古いぶどう酒を飲めば、されでも新しいものを欲しがらない。「古いものの方がよい」と言うのである。」”
-(イエスのもたらす救いは律法や既成概念を超えたもの。新しい精神をもって迎えなければならない。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年9月5日
                       乗倉寿明記す