日記 | St.Augustinusのように語りたくて・・・・

St.Augustinusのように語りたくて・・・・

インターネットに持っているのは、様々な形で、これで7個目になってしまいました。時々、逸脱します!そんな時、「告白」を読み返したいと思います。余りに重いタイトル。少しでも、何かを語れればと思いました。

0 多忙なので、順番通り数学の更新のみ。
写真は、昨日8/17(日)の名古屋。コスモスの会で、名古屋に行く。

アントニオーニの映画「情事」をなかなか進められない。島の小屋のところ。リチーの指摘に納得。リチーの「映画のどこをどう読むか」の該当箇所を読む。
引用は変わらない。

“正反対性(両極性)を使って自分の言いたいことをあらわすこのアントニオーニの方法は、幾何学的である。両極端を持つ線があって、われわれはその両端を見るよう求められる。後へ行くほどこの映画は幾何学的な要素でいっぱいになる。背景の一部に見られるバロック風の幾何学的なものとか、青写真や建築用の図面の使用といった見てすぐわかる表現だけではなく、テーマを明確にし、例証し、文学的にあらわすための幾何学的な構図がたくさん使われている。”(p.87)

1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。前回踏襲。
「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」(ピノック(チェンバロ);アリヒーフ)
「バッハ:パッサカリアとフーガハ短調他」(ヴァルヒャ(チェンバロ);FIC)

2 「聖母の被昇天」の祭日以来の更新か。前回、

 “五世紀のエルサレムで八月十五日に祝われていた神の母マリアの記念は、六世紀には、マリアの死去の日として東方教会で祝われるようになった。七世紀半ばに西方教会にも受け継がれ、マリアの被昇天の名で知られるようになったのは、八世紀になってからである。一九五〇年にピオ十二世教皇は、マリアが霊肉ともに天に上げられたことを教義として宣言した。教会は、キリストと最も深く結ばれていたマリアが、真っ先にキリストの復活と栄光にあずかっていることを祝っている。”(「毎日の読書」より)

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を引用していた。
少し前のことになったが、17日(日)は名古屋に行く。上り(豊橋行きが上り)の朝一で。青空切符は2500円で往復可能。ただ、日帰りだ。下りは早いのだが、上りは飯田6:30。せめて、始発が下り並みだとカトリック豊橋教会のミサに間に合うのに・・・と思いつつ。
栄では、風車のあるカッフェで食事をする。往復で唯一の贅沢だ。“歌が上手く詠めるには、極力歌会に参加せよ”第2週・第3週と歌会のスケジュールが続く。反映されるように頑張らなくては・・・
という訳で、時間の余裕があった日曜は、午後鼎図書館に篭る。篭って、
「萬葉集新解」(武田祐吉)「古今和歌集評釈」(金子元臣)「新古今和歌集」(窪田空穂)「文語文法詳説」(湯沢幸吉郎)
の自分の中“和歌カルテット”を読む。
「民謡の次、琴・和太鼓と尺八・琴・和太鼓行ってみよう!」と掛け声で読む。
4冊は、松尾聡先生の2冊と並んで、今のところ自分にとって大きな存在。
帰宅後、「詩と思想8月号」「現代詩手帖7月号」を読む。
18日からは仕事で仕事で忙しかったり、原稿執筆で忙しかったり。
数学教育学会の原稿を22日に、コスモス3原稿とかばん・赤石原稿を20日に、それぞれ期限ギリギリに間に合わせる。危ういところだった。
「次は、余裕を持って」と思うのだが、油断してギリギリにしか上げられない。これを機に、詩を少し書こうと思っている。心しておこう。
そういう訳で、この間読んだ本が、
「かんどころ円錐曲線」「相対論の意味」「経済学辞典」「非線形経済動学」(フッドウイン)“The Mathematics of Time”(Smale)「カオス力学系入門」(Devaney)「理系数学ⅠⅡAB入試問題集」「 “ ⅢC ”」「ソリトンの数理」「社会科学における数理的方法」「非線形の力学系とカオス(上・下)」(ウイギンス)「エコノフィジックス」「物理は自由だ・力学」「新・物理入門」(山本義隆)「複雑系による経済モデル分析」「最適化」「新・物理入門問題演習」(山本義隆)「プリンキピアを読む」(和田純夫)「ファインマンさん、力学を語る」「ボンヂ相対論の素顔」(H.ボンヂ)
名古屋に行ったとき読んだのは、
「現代名詩の鑑賞」(村野四郎)「抒情の源流をたずねて1」(コスモス短歌会)「現代の経済理論」(岩井克人・伊藤元重)「リャプノフの方法による安定性理論」「俳句鑑賞歳時記」“The Romantics-Penguin English Verse4”“Stable and Random Motions in Dynamical Systems”「現代の短歌」(高野公彦)”Dubliners”など。
「抒情の源流をたずねて」は第2巻が高い。アマゾンでしか入手出来ないが、7~8千円もする。第2巻を飛ばして、第3巻に行かなくては。出来るだけ早い時期に全巻読み終わりたい。高野公彦氏の本も。この2シリーズと宮柊二氏の主要な著書を読んでいることが、コスモス会員としての最低限かな。名乗れるのは全部読み終わって、それからだ!半年目処にどうにかしよう!!

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アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)からは、変更なし。

“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)

4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。3回目。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正しようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・//空に白雲が立ち籠め 木々の緑 その影は 日差しを遮り 小さなバルコニーには 混沌が形成されていた 空港に出て 半島を半時計周りに巡って また読み止しの本に戻った// 「ステファニーが フランスに旅をして お菓子屋になる為に パリで勉強する やがて 大人のする恋をした そして 振られ・・・」//お座なりに投げ出された鞄から 星が銀河のように溢れ出て 空間を限りない光で満たした//次第に遠のいて行く テールランプ 棒状に浮かぶ雲たち 庇には もう東の月が出ている 周到に準備された 文月のような それでもう 終末に近いことが分かる//”(未了)

最近、短歌か数学ばかりで詩を余り読んでないので、自然評が甘くなる・・・。「次第に遠のいて行く テールランプ 棒状に浮かぶ雲たち 庇には もう東の月が出ている 周到に準備された 文月のような それでもう 終末に近いことが分かる」を冒頭の「白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない」と比較したい。その前に、“コンピューティングにハミルトンの四元数を使う”のその先を考えたい!

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5 From “Quantum Computation and Quantum Information”(M.A.Nielsen I.L.Chuang;Cambridge)(p.174)第二回。

“You might wonder why the T gate is called the π/8 gate when it is π/4 that appears in the definition.The reason is that the gate has historically often been referred to as the π/8 gate,simply because up to an unimportant global phase T is equal to a gate which has exp(±iπ/8) appearing on its diagonal
 T=exp(iπ/8)[exp(-iπ/8)    0
                  0  exp(iπ/8)]
Nevertheless,the nomenclature is in some resepects rather unfortunate,and we often refer to this gate as the T gate.

量子コンピュータの代表的な教科書から引用しました。
15年位前の“コンピューティングにハミルトンの四元数を使う”に関し、この本の引用を機会に、もう一度、熟読して再考しようと思うのだが・・・。時間が許せば進めたい。

6 “小湊に乗り継ぎ至る停車場の わくらば色なる秋の夕暮れ”
今回は短歌。以前作って投稿しなかったものから。“ノリクラノリクラした歌”。


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7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939:The fact that men and women in various parts of the world feel personally affected by the injustices and violations of human rights committed in distant countries,countries which perhaps they will never visit,is a further sign of a really transformed into awareness,thus acquiring a moral connotation.”
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
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9 年間第21火曜福音朗読。マタイによる第23章から。

“「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。」”
-(「律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実。」私たちは「義に飢え渇いている」だろうか。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年8月26日
                       乗倉寿明記す